偉人『ヘンリー・マンシーニNo.2』

初めての楽器が管楽器の場合バンドリーダーや作曲家、プロヂューサーになる確率が高いと言われるアメリカ音楽界でその王道を人々の信頼を集めて進んだのがヘンリー・マンシーニその人である。今回は前回の記事『ヘンリー・マンシーニNo.1』(記事はこちら)の流れでマンシーニが多くの仕事関係者からそして家族から愛された理由について述べることとする。

彼の代表曲といえば前回の記事で記した通り『ムーン・リバー』『ひまわり』『ピンク・パンサーのテーマ』などの他に私が好きなのは映画『ハタリ』の『子象の行進』、刑事コロンボのテーマ曲などがあるが、それ以外にも多くの作品があるがどれもこれもバラエティに富んで面白さや美しさ悲しさ清らかさなど色々な感情を掻き立ててくれる。締切を守り、常に質の高い作品を提供し続けたマンシーニの勤勉さについては前回も述べた通りだが、その勤勉さだけでは他者からの絶大なる評価を受けることはできないであろう。彼が仕事の関係者をも惹きつけてしまうのは彼の謙虚で控えめな姿勢にあった。

大成功を収めたにもかかわらず名声や賞におごることはなく、非常に謙虚な人物だったことで知られ、音楽に対して誠実で真摯な態度を貫いた。映画監督やアーティストとのコラボでも、協調性があり、聞き手に回ることができる人だったと言われ、映画監督 ブレイク・エドワーズは「マンシーニはいつも一歩引いた立場で、音楽を作品に溶け込ませるように作っていた。」と語り、フランク・シナトラは「ヘンリーはただの作曲家じゃない。彼の音楽は心に響く。彼が書くと、歌詞がより深く感じられるんだ。」語りマンシーニがアレンジした曲をライブのレパトリーに入れていたという。

また下積みの無名だった頃に出会った人々や支えてくれた仲間たちに対して、成功した後も感謝の気持ちを忘れずいた。特に映画監督ブレイク・エドワーズとの友情は有名で、エドワーズが自分を信じてチャンスを与えてくれたことを何度もインタビューで語っており、成功しても決して傲慢にならなかった。そして自分自身が若き頃苦労してキャリアを積んだため、若い音楽家への支援と励ましを積極的に行い、業界で苦しんでいる若者に対しても現実的なアドバイスを与えながら、常に希望を持たせるような温かい言葉をかけていたと言われている。

またマンシーニが人の心の中にすんなりと入り彼と仕事をした人物たちが、また共に仕事をしたいという思いに駆られたのには単なる勤勉さや仕事の能力が高いだけではなさそうである。映画業界の中では、「マンシーニと仕事すると笑いが絶えない」と言い、常に冗談を言いながら人を和ませ仕事に取り組んだ。ユーモアがあって人懐っこく、人との距離感を大切にする人物で人柄も「ウィットに富んだ、シャレのわかる人物」だったと多くの関係者が語り、「笑い」を大切にする心の余裕と知性を持った人物であった。そのユニークさはミステリー映画の音楽にもかかわらず音でキャラクターの“性格”を茶目っ気たっぷりに描いた『ピンク・パンサーのテーマ曲』にも見られる。実はこの曲はマンシーニの「遊び心」から生まれた曲で、キャラクターに合わせて少しスネたようなジャズ風のメロディにしたいと考え、わざと「猫が忍び足で歩いているようなリズム」にしたそうである。仕事を心から楽しんでいたのである。

マンシーニの優しさは仕事関係者もさることながら妻ジニー・マンシーニと子供たちを大切にし、家庭と仕事のバランスを大切にする作曲家としても知られていた。マンシーニは「ジニーなしでは私は今のような音楽を作れなかった」と語り、子供達は「父は多忙な中でも家族との時間を大切にし、ツアーやレコーディングの合間を縫って子どもたちと過ごす時間を確保してくれた。」と父への想いを語っている。子供達がピアノや音楽に興味を持つと忙しい合間を縫って練習に付き合ったり、一緒に作曲を試みたりし、音楽を通じて家族と繋がろうとしていたようである。華やかな音楽業界に身を置きながらも家庭や家族をとても大切にした人物であり、大切なものを見落とさない人物であったのは間違いなさそうである。彼の娘モニカ・マンシーニはのちにプロの歌手になっしが彼女は父についてこう語っています:「父はスターであることより、家族の一員であることを大切にしていた。」と。

最後に彼の謙虚さと協調性を示すエピソードを取り上げてこの記事の締めくくりとする。

あるとき、マンシーニが音楽を担当していた映画の監督が、彼の作ったメロディについて「ちょっと違う」と感じて意見を出した。普通の作曲家なら「自分の芸術性」を主張する場面であるがマンシーニは怒ることなく自分自身の芸術性を主張することなくこう言った。

「映画はチームワーク。監督が望むなら、私は何度でもやり直すよ。」

この発言からも分かるように、マンシーニは非常に謙虚で協調性のある人物だった。自分の名声よりも作品全体の完成度を優先したのでである。

彼は映画音楽界のスターだったがスターぶることは一切なかく、誰に対してもフェアで音楽を愛していた人物である。移民の家庭に生まれ苦労をした下積み時代に心を乱すどころか、感謝という前向きな精神性で歩んできた人物は、まさに本当の清らかな心も持ち主であったのだ。家庭環境の中に「感謝」と言う教えがあれば子供は謙虚に育つものである。そうヘンリー・マンシーニの人生が語っている。



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