提案『SDGs4項目 質の高い教育をみんなに No.7』
今回のSDGsの記事は『SDGs4項目 質の高い教育をみんなに』です。この仕事をしているとつくづく子供の世界に親の経済的格差や国の貧困を痛いほど感じます。日本での義務教育は中学生までで、義務教育でありながらある程度の金銭負担を親がしなければならず、この日本でもその経済的負担に苦しむご家庭もありサポートが必要です。また国のレベルで考えると義務教育の設定すらなく小さな子供が労働の担い手となっている最貧国もあれば、児童労働を防ぐために幼稚園から高校までを義務教育にしている国もあり、男尊女卑の考え方やハンディキャップを持つ人々が虐げられ子供の頃から先人しても尚教育が受けられない現状がある国も存在します。すべての人が生涯にわたって公平で質の高い教育を受けられるようにすることを目指すのが、このSDGs(持続可能な開発目標)の第4項の目標です。
SDGs4「質の高い教育をみんなに」とは、誰も取り残さない教育、生きる力を育む質の高い教育を世界中で実現することを目指す目標です。主なポイント箇条書きにしています。このことを念頭に今回は基本的考え方を学んでほしいと考え、次回の提案記事で幼児から小学生までの子供達に何をどのように伝えるのか参考にしてください。
1. すべての子供が初等教育・中等教育を受けられるようにする
世界には貧困・紛争・障害などの理由で学校に通えない子供がいます。誰もが基礎的な教育を受けられる世界を目指していますが、子供たちにどうして教育が必要なのかと問われたらみなさんはどのように伝えますか?この問題はよく子供達から私が受ける質問でもあり、親御さんがどのように回答したのかを逆質問すると、子供達は腑に落ちたという回答が得られていないようです。私は6つほど答えを持っていますが、子供達が納得する答えは《④個々の可能性・才能を発見し伸ばすため》です。大人が導き出す他の5つの答えは子供達にとり難しい答えで彼らの心に響きません。どのような国に生まれようともやはり子供達の可能性を引き出すためにも教育の需要性を認識しなければならないのです。
私なりの6つの答えをいかに記しておきます。
①生きるための基礎的な能力を身につけるため、②社会で自立して生きられるようにするため、③社会の一員として必要な価値観やルールを学ぶため、④個々の可能性・才能を発見し伸ばすため、⑤心の成長・人格形成を促すため、⑥社会全体の発展につながるため
2. 教育の質を高める
学校があっても、教材不足や教師の不足で十分な学習ができない地域があります。十分な教材・設備、良い教師、質の高い授業を整えることもSDGs4項では重視しています。そこで社会にはどのような団体が活動しているのかを子供達に知らせることも大変意義深いものだと考えます。例えば発展途上にある国々への支援で有名なのがUNICEF(国連児童基金)、紛争地域や貧困地域に スクールキット を配布したり教育を受けられない子どもに学ぶ機会を提供する活動を実施しているSave the Children(セーブ・ザ・チルドレン)、子ども支援プログラムの中で文房具・教科書・制服などを支給や学校建設や教師の育成もサポートをしているWorld Vision(ワールド・ビジョン)、日本発の活動や団体では古いランドセルをアフガニスタンなどへ送る活動をしているフルーツバスケット、それ以外にも多くの活動をしている団体や企業があります。寄付団体と一括りにするのではなく、どの団体がどのような活動をしているのかを親子で精査することも大切なことだと考えます。
子供達が小学校中学年だったと記憶していますが、古着をアフリカに送る仕分けのボランティアをしたことがあります。色の褪せた服や寄れて多少の穴が空いている服でも喜んで着る人たちがいることを子供達は頭で理解していても、実際に作業に加わるまでは実感できていなかったのです。しかし目の前に大量にある服やその他の衣料品、おもちゃを仕分けすることで、たくさんの廃棄物が世界の国々へ渡り循環することを実感し、国の豊かさと貧しさを実感できたのです。すると靴下に穴が空いたらもう履かないと言っていた子供達が繕って履くという考え方に自発的に進めたことは喜ばしいことでした。がしかし・・・ものが豊かにある国で育つということは履き心地や見た目的なこともあり、家の中だけにしようということになったという現実があります。物を大事にするという日本古来の学びも廃れているのでしょう。先進国であっても本当に質の高い教育をしているとはいえません。だからこそこのSDGs4項の考え方は世界的に考える必要性に迫られているのかも知れません。
3. 職業教育・高等教育へのアクセスを広げる
大学や職業訓練など、就職や自立につながる教育を受けられるようにすることも4項の目標です。貧しい国の子供達が高校や大学そして専門的教育へ進学するための現実的な方法 は、奨学金制度的支援や国際支援、個人支援のスポンサー制度の個別支援、NGOによる学校建設・女子教育支援など複数の道があります。私は子供達に自分自身の留学経験から見てきたことについて話すように努めていました。このような支援を受けている留学生は国や故郷、兄弟や親戚、企業や団体の期待を背負って学んでいる貧しい国々の優秀な学生が圧倒的に多買ったので彼らの学びの姿勢や考え方をなるべく子供たちに伝えてきました。彼らの背負うプレッシャーは計り知れないもので、自分のために使う学びの時間というよりもそのバックにある大きなもののために自分を生かすということへの義務感と彼らの真摯に学問に向き合う精神的強さを見てきました。貧しくとも自分自身の頑張りで道を開くことができると証明している彼らの逞しい姿を日本の子供達が知っておくということは何かしら学べる部分があると考えます。
4. 男女平等と弱い立場の人への配慮
女性や障害のある人、少数民族、政府に抑圧される人々など教育を受けにくい人が平等に学べるようにすることも世界的目標です。世界の一部地域では教育の優先順位が「男性>女性」とされる文化が根強く残っていたり、少数民族は国によって差別や排除を受けやすく学校へアクセスすることが難しいことがあります。何より貧しい国々では子供達は労働力とみなされており、貧しさが教育を受けられない最大の障害となっています。また戦争・内戦の影響を受ける子供は生き延びることが最優先ですから教育を受けられない割合が高いと言えます。また身体・発達・知的障害のある子供の教育が貧国では排除されるケースも多くあります。残念ながら日本でも障害のある子供たちは18歳までは制度を活用し生活を送ることができていますが、18歳以降は道筋が立っていない現状があります。その他の社会的に脆弱な孤児や路上で生活するストリートチルドレン、親が病気で働けず子供が家事や介護を担う場合、子供の頃に児童労働の被害者、人身売買の被害を受けた成人もこの目標達成の対象者です。先日も母親に連れられたタイの12歳の少女が東京のマッサージ店で61人もの性的サービスをさせられ、自ら東京出入国在留管理局を訪れ被害が発覚した人身取引事案がニュースになりましたが、母親が娘にそのようなことをさせるというのは母親もまたそのような立場に置かれた経験があったと想像できます。自分の身を大切にするという教育と経済的なサポートが受けられていたらこの母娘の連鎖は止められていたかもしれません。毒母という言葉で簡単に済まされる問題でもないのです。しかしそこに金儲けに目が眩み人間の尊厳すら念頭にない日本人の存在も忘れてはなりません。
5. 生涯学習の推進
子供だけでなく大人も学び続けられるように、読み書きの教育、ITスキル、仕事に必要な能力などを学べる機会を増やすことも目標として含まれています。例えばその国の政府機関が各国の支援を受けて職業訓練校を設立し、実際に安い学費で手に職をつけることもできますし、NGO・国際機関による大人の教育支援として読み書き教室(成人識字教育)、マイクロビジネスのトレーニング農業技術の研修、裁縫、石けん作り、料理などで学びながら収入を得る女性向けスキルトレーニングなども行われていたりします。その他にも地域や社会のコミュニティを活用したものも存在します。色々なグループや団体ありますが、被害者同士が支え合って心の立て直しを図り自立へと向かう団体もあります。例えばインドはまだまだ男尊女卑の世界で女性の顔に硫酸をかけるという事件がたくさん起きています。例えば男性からの交際を断ったという理由で腹いせに硫酸を顔にかけられた女性や職場で仕事が自分よりもできるとして硫酸を浴びせられた女性など男性の身勝手な行動で生涯治ることのない傷を受ける女性たちが、共に寄り添い傷を癒やし道を模索しているグループもあります。どんな状況に置かれた人でも現状を変えるための生涯学習や職業訓練は必要です。
それではまとめに入ります。SDGs4項には『質の高い教育をみんなに 』を学ぶにあたり、世界の子供たちが置かれている状況をまず知るということを子供に説いて聞かせたり、親子で調べたり、もし教育を受けられない子が自分だったらと置き換えて考させることは必要だろうと考えます。
私は子育てをするにあたりかなり衝撃的な一打を繰り出して印象付けることを行い、それを子供たち自らが自身の中に取り込んで思考させる教育を行いました。やはり美しいものや綺麗なもの華々しいものばかりを見せていては強さの獲得にはなりませんし、必ず弱さが際立つ子供になるか、見て見ぬ振りをする子供になるか、はたまた何も感じない考えない子供に成長すると考えていたからです。社会には表と裏が必ず存在します。その成り立ちを考えなければ深いところでの思考はできません。『相手の立場になって考える、自分の置かれている環境のありがたさを感じる』このことに至ることができれば、学びの意味を本当に理解できるのではないかと考えます。
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