偉人『雪舟』
前週の源義経の記事を書きながら(記事はこちら)次は雪舟と決めていた。源義経と同じように寺に預けられた雪舟の学びは、常に厳しい状況にあり自らその厳しさ立ち向かいやり通さなければ生き残れず、我が人生は自ら掴み取るしかないものと悟り、その悟り通り実行した室町時代を代表する水墨画家であり、禅僧でもある雪舟を今回は取り上げる。彼の人生は誰かに道先案内をされ成功を得たものではなく、自分自身に与えられた困難な環境から道を切り拓いたのである。よく人は自分自身に困難があると、なぜ自分ばかりがこのような状況になるのか、他の人は自分のような境遇に置かれているのかと考えがちであり、時にはその境遇を自分の学びとはせずに人を批判し恨んだり妬んだりすることがある。しかしより良い人生を切り開こうとする者は『なぜこのような人生が与えられ、その中から何を学べというのだろうか』と試練や困難の中から自分自身が一回りも二回りも成長するための何かを導き出そうとするものである。ここに人生を豊かに生き抜くコツがあるが、短絡的な考え方で突き進むと豊かな人生を手放すことや目の前のチャンスをみすみす逃してしまう。今回は雪舟の人生から人生を切り開く人物の行動とはどのようなものなのかを考えてみることにする。
雪舟こと雪舟等楊(とうよう)は1420年ごろの人物だと言われ、身分は武士の家系と考えられている。生まれは備中(現在の岡山)で10歳ごろに近所の宝福寺に預けられ、その後京都の相国寺に移ったとされる程度の情報でこれ以外の幼少期のことは分かっていない。雪舟が生まれたとされる備中国(岡山)では、子どもを寺に入れて教育を受けさせ家の負担を減らすというのはごく一般的であり、特に武士の次男・三男で家督を継がない子供は寺に入るケースが多かった。室町時代は不安定な時代で戦、年貢、災害も多く一人を寺に預けることが家の生存戦略という側面もあった。雪舟もまた似た境遇に当たるのではないかと推測されている。
また当時の禅寺は読み書き、漢文、詩文、絵画まで学べる「最高の教育機関」だったと考えられており、寺でありながらエリート養成所みたいな場所であった。雪舟が預けられたのは禅宗の禅寺は「芸術の中心地」という側面もあり水墨画や書、詩などの修行が行われ、8代将軍足利義政によって建てられた銀閣寺は室町中期の文化で禅宗の影響を受け、雪舟の水墨画もその東山文化の代表である。
では雪舟の寺での生活を少し紐解いておこう。
小坊主として預けられているためまずやるべきことは寺のお勤めである。しかし今日を読まずに絵ばかりを描いている雪舟は寺の柱に縛られ反省を促された。その時に不意に雪舟の前に現れたネズミの姿を足指を使い自らの涙で床に描いた話は天才エピソードとして後世に伝わっている。経も市などの学問にも興味がわかず夢中になれなかった雪舟が唯一我を忘れて打ち込めたのが絵だったのである。その後京都五山の相国寺に修行僧として入山すると、当代随一のがそうとして有名な周文様の教えをこうことになる。ここで学んだことがその後の彼の人生の指針になったと私は考えている。雪舟が学んだ水墨画は中国で俗世を離れた修行僧が己の精神と向き合い、禅宗の教えと向き合うために行われた精神性を軸に心を研ぎ澄まし己の心の強さで描くものであるとされた。よって小手先の絵を上手く描こうなどという稚拙なものではなく、精神の奥深さを図られてしまう水墨画として受け止めなくてはならないものであった。
48歳の時に雪舟は画僧として遣明使に加わり中国へ渡るものの、当時の明国で流行していたのは華美な花鳥風月を競って絵師が描いていたため、雪舟が学びに行った山水画は廃れていたのである。意気揚々と希望に溢れ修行を積むために訪れたが、師と呼べる者はなく落胆したものの「国破れて山河あり」という心境で山河こそが我が師なりという気持ちに切り替え、形を写すだけでなく自然の本質をとらえる絵を志すようになった。この経験がそれまでの日本画にはない圧倒的な構成力と筆の強さで日本の山水画のレベルを一気に世界基準に押し上げたのである。足掛け3年当時の明国で学べるだけのことを学び取り帰国の途に着いた。しかしここで待ち受けていたのは応仁の乱で京の都は無惨にも焼き尽くされ、どんなに優れたものを描き、像を掘り書を描いたにせよ戦乱の炎が全てを焼き尽くす現実に、諸行無常とはいえ心が砕けそうになった。しかし雪舟が学んだ禅宗の教えを描く水墨画は、世の中がどれだけ荒んで果ててしまいそうであっても自分自身の心が強く折れることなく、描くことを極めていれば必ず戦禍に飲み込まれることなく作品は残ると確信していたのだろう。雪舟は山口(大内氏の保護を受け)を拠点に15年にも及ぶ放浪を続け、国の至る所の自然を描き続け日本の風土に合った独自の水墨画様式を完成させた。その後晩年まで絵を描き続け1506年ごろに没したと考えられている。
雪舟の人生はこんなに短い文章で語られるほど甘いものではなかったであろう。次から次へと困難が彼の前に立ちはだかり、その都度尋常じゃない落胆を味わいながらも自らを奮起させ大きく立ちはだかる壁を自力で乗り越え、新しいものを獲得して人生を全うした人生であっ他ことが作品から推測できる。つまり絵の上手い子供が寺に預けられ、世界の最先端を見に行き、自分だけの表現を確立したという事実の下には、才能があった以外にも反骨心や修行への執念そして自立心と探究心があった。
ここで雪舟から導ける教育の本質は何かと問われれば、学習や習い事において基礎と模倣を徹底すること、安易な成功体験を与えないこと、自らを内観し問いを立て自分で実行できる経験をさせることではないだろうか。親はいかに楽に子供があらゆるものを習得させようとするが、この方法は子供達に自分自身で物事を考える実行するという力を奪い、YESかNOか、正解か不正解か、簡単に答えを出す方法だけを欲しがる子供に成長させてしまう。実はこの方法で育った子供が大人になると同じ方法で子供を育てるため、合理性だけを追求する子育てを実行しかねない。良い教育とは「正しく導くこと」ではなく、「迷っても、困難が起きても、たとえ理不尽なことがあっても、そこから何を学んで立ち上がるという折れない心の力を育てること」だと考える。勿論子供にそれを望むのであれば、親がそうでなくてはならないのだ。
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