偉人『マーガレット・サッチャー』
「鉄の女」という肩書を持つイギリス初の女性首相マーガレット・サッチャーを今回は取り上げる。彼女はイギリス国内でも経済を立て直した強いリーダーと評価する人々もいれば、貧富の差を広げた政治家であると批判されるなどイギリス国民の中で意見が二分される。しかし我が国日本の初の女性内閣総理大臣高市早苗氏は憧れの人として彼女の名を挙げている。政治家として一国の首相として評価をされることの多いマーガレット・サッチャーを、一人の母として見たときに私の目にはどう映るのか分析してみることとする。
彼女には長男マーク・サッチャーという息子と長女キャロル・サッチャーという娘がおり、2人は1953年生まれの双子である。母マーガレット・サッチャーと双子のマークとキャロルの関係には「距離のズレがあり、やや複雑」と言われ、母は強力な政治家として知られる一方で、家庭では必ずしも温かい母親像ではなかったとされている。子供達との関係には勿論愛情はあったが不均衡であった。事実ジャーナリストであり作家として活動する娘キャロルは自身の回想録で、家庭内で「兄が優遇されていた」と感じていたことを語り「母は仕事優先で、感情的に近い存在ではなかった」とさえ母についてあからさまに記している。
一方息子マークとの関係で母である彼女は「感情よりも事実を優先した」鉄の女という立場には立てず、武器取引疑惑やクーデター関与問題などで度々世間を騒がせる息子を擁護する立場をとった。そのことについて多くの議論も呼んだが、1982年のパリ・ダカール・ラリー失踪事件でマークが行方不明となったときには、首相としての立場と母としての感情の間で板挟みになる場面もあったと言われている。息子マークに対して溺愛気味だったとも言えるだろう。娘キャロルが語る不均衡とは同じ兄弟でありながらこうも違うのかと感じたことであり、一国の首相としての強さとは裏腹の母としての弱さというアンバランスさも指摘した上での発言だったかもしれぬ。しかし母マーガレット・サッチャーが「平等な貧困より、不平等な豊かさが良い」と語ったことが政治だけではなく兄弟間の子育てに活かされるとするならば、トリクルダウン効果で兄弟ともに恩恵が受けられていたと考えることもできる。しかし世の母親たちに知っておいて欲しい事実がここまでの話で2つある。
1つは娘キャロルが子供の頃に感じたような親への不足不満は生涯解消することはない。つまり兄弟姉妹間で親の扱いに差を感じたことは子供の心に残り続けるのである。この子供が抱いてしまう感情の差は、親にしてみれば「そんなことをしたことはない」と大半の親がいう。しかし子供と親の受け取りにはギャップが生じているのだ。ではなぜそのずれが生じるのか、それは親の考え方の影響と親が子供を観察し対応するという行動に偏りがあるからだ。手のかかる子供がいれば親はそちらに目がいく、そして「しっかりしている子供は大丈夫だ」と勝手に思い込んでしまい小さな子供の気持ちの変化を察知しきれていない。子供はどのような子供でも親の愛情を一身に受けたいと思うものである。そして兄弟以上に愛情を受けていると確信したいものでもある。あなたは特別というお墨付きが欲しいのだ。おそらくまガーレット・サッチャーはこのような視点に立って考えてはいなかったのであろう。
また彼女の場合にはもう一つの理由があったと考えている。二つ目の理由とは男子に家名や成功を期待する風潮という時代背景が彼女の子育てにも影響を及ぼしたことにある。家を継承する息子への特別な感情が本来は中立であるべき判断や見方ができず、息子の問題行動を容認してしまう方向に偏ってしまったことにある。つまり無意識のバイアスがかかっていたと言えるのではないだろうか。この風潮は沖縄にも色濃く残っており、この点は子育てに於いては要注意である。ある方がこの話題で盛り上がった時に「それは政治家で忙しすぎたために母親としての役目を果たせていない負目ではないか?」と問われたことがあるが、そうならば娘キャロルにも同様のことを行なっているはずであるがそうはしていない。これが母親が家を継ぐ息子に対する思いのねじれ現象である。
息子マークは首相の息子という特殊な看板を背負っており、偉大な母に見合う成功をしなければならないというプレッシャーもあったと言われているが、何かあれば母が守ってくれるという安心感と依存が彼の中にはあったはずである。権力や人脈があるとビジネス機会が自然と増え、有象無象も集まってくる。必ずしも良いものばかりではなくグレーな案件や人々も集まり彼はグレーなビジネスに足を踏み入れやすい環境にあったのであろう。
しかし本来まガーレット・サッチャーが目指していたものは、『妥協しない・迎合しない・共産主義に屈しない』ことであり病めるイギリスを建て直すことであった。そのためにはイギリス国民が国に頼らずに自分自身の力で逞しく生きることを目指し政治を進めていたはずであるが、息子の起こす不祥事には冷たく知らないという立場を通したつつも実際は息子を庇い縦をしていたのである。ソビエトから冷酷で頑固で危険な人物と皮肉をこめられた『鉄の女』というものを、マーガレット・サッチャーは鉄は強靭で曲げることはできないと考え強いリーダーシップで信念を曲げないと逆手に取りアピールする手段に使用した。しかし鉄が熱に弱いことまで考えていなかったのであろう。母なる愛は如何なるものを温め、強靭な精神論まで燃やしてしまうことを彼女は読み取れていなかった。「強さは諸刃の剣」彼女はこのプラスとマイナスの両面を感じとりそれを自身の中で解釈をしていれば、もう少し異なる親子関係が構築されていたのではないだろうか。
私がマーガレット・サッチャーという初の女性首相に物申すのは恐れ多いことであるが、他国の一般庶民の小さな人間の戯言として言わせてもらうならば、彼女が父アルフレッド・ロバーツから教えてもらった「誰かに助けられるのを待つのではなく、自分の力で立ち上がるのだ」という教えとその価値観をの深さを息子に教えることができたのであれば、息子はドラ息子と呼ばれることもなかったであろう。またその祖父の教えを母の姿から学んだ娘キャロルは、母に助けられることもなく自分の力でジャーナリストとなり地に足をつけて歩んだ。母マーガレット・サッチャーが父の教えに原点回帰をすることを行い、子供達に接する機会があれば息子は思慮深く行動ができ、娘は温かな目で物事を捉えることができたのではないだろうか。
今日は親から何を託されて人生を歩んでいくべきかを考えながら原点回帰の旅に出る1日を送りたいものである。
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