偉人『平野威馬雄』
平野威馬雄という名を知らない人のために参考までに書き添えておくと、平野威馬雄は日本の料理研究家・タレント・シャンソン歌手の平野レミ氏の父親である。先週の記事で(こちら)すでに彼を登場させているが、その記事を読んだご父兄は威馬雄という人物に興味が湧いたようである。今回は彼の歩んできた単なる混血児の苦労話ではなく、日本人とは何か、人は血筋で決まるのかなど普遍的な問いを自らに投げかけ哲学的探究を推し進め、さらに自らと同じ混血時の困難に向き合う活動を貫き通した平野威馬雄を取り上げる。また彼には困難をも寄せ付けない自己表現を持っていた。その自己表現とは何かを探ってみることする。
本題に入る前になぜ私が平野威馬雄に興味を抱いたのかを記しておく。時は遡ること46年ほど前、私には幼い頃から混血児のクラスメートがいた。多くの混血児はベース内ではhalf-breed(ハーフブリード)」や「half-caste(ハーフカースト)と非常に差別や偏見を含む厳し言葉で蔑まれた呼び方をされることもあったが、大方はAmerasian(アメレイジアン)やhalf(ハーフ)と呼ばれた。そして基地外では「あいのこ」や「アメリカー」と呼ばれ、基地の内外どちらにも軸足を置くことができない状況にあった。その友人は私が悩みに悩んでいる癖毛を「羨ましい」と言い、「自分は肌の色も褐色だし」と悩んでいることを打ち明けてくれた。その時に初めて自分自身の悩みがちっぽけで恥ずかしいものだと認識したのである。それと同時に彼女の簡単に想像できない苦しみを感じ取ったのも事実である。ある日、彼女が私に1冊の本を手渡した。それは彼女を心配した英語の先生が手渡した平野威馬雄の『レミは生きている』だった。私に「この本読んでみて」と開いてもない本を差し出した。「自分で読んだら?」というと「なんか怖いからさぁ」とだけ言ったのである。彼女の語るその怖いの意味が私はピンとこんかった。読んで後からは彼女にとって屈辱的痛みが日常に存在することが理解でき、軽々しく彼女の出自を揶揄する同級生の多いことに気付かされたのである。この本を読むまでは私自身も彼女の痛みに気付けずにいたと同時に、彼女に浴びせられた言葉に無関心だったことが今でも恥ずかしい。やはり平野威馬雄のように同じ痛みを味わうものだけが理解し合えるものなのか、いやそうでは無く本当の意味で理解はできなくても、想像する力だけは持っていたい。困難を抱えている人に寄り添い想像し続けて理解しようとすることが大事であることを、これからの担う子供達には学んでほしい。平野威馬雄との出会いは私にとって哲学的学びを身近に感じ取らせてくれた心の強なのである。
それでは本題に入ろう。威馬雄の『レミは生きている』は彼自身の半生をもとにした自伝的小説であり、差別や偏見の問題を子供の視点から書き、アイデンティティや国籍、民族意識について考えさせる内容である。主人公のイマオはアメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた。幼い頃に父はアメリカに帰国することになり、共にアメリカに渡ろうとするも日本の血を引くイマオの入国が認められず父と離れ離れになり、日本で母の手によって育てられた。外国の血を引くその容姿や母がラシャメンとして世間的に見られていたため、その出自により周囲から「異質な存在」と見なされ差別や偏見にさらされ苦しんだ。ちなみにラシャメンとは、幕末から明治時代にかけて日本に滞在した西洋人の妾(めかけ)や内縁の妻となった日本人女性を指す蔑称として知られ、そこには蔑まれた見方の差別用語であることをまず理解し、イマオの生い立ちを考える必要があることを付け加えておく。
先出の私の友人と同じでイマオは自分自身を日本人だと思っているのにもかかわらず、「お前は日本人ではない」と周囲から言われ続け、差別を受けた学生時代を送り通学もままならない状況に置かれてもいた。成人してからもその差別と偏見は時代の影響を受け形を変えて彼を苦しめ続けた。その偏見や差別の苦しみの中で「一体自分は何者なのか」「日本人とは何か」「血筋とは何か」「国を超え人間同士が愛することとは何か」という問いに常に苦しみながら成長していく。学校生活や友人関係、家族との繋がりを通じて葛藤しつつも、自らのルーツを受け入れ、人間としての誇りを見い出していく過程が描かれているのが『レミは生きている』である。
その自叙伝的小説を読めば、日本人100%の血を引く私たちには想像もできないほどの深い葛藤や苦しみがあることを知り、そんな経験がその人となりを強くも逞しくもし、また諸刃のような弱さが人を惹きつけ、創造性や優しさの源になり作品を生み出したのが平野威馬雄という人物である。困難に打ちひしがれると人間は内向的になり、慎重に、そして防衛的になることも、時には感情が理性を上回ることも、自暴自棄になることも十分考えられる。しかし幼い頃から「混血児」として差別を経験していたにも拘らず、その苦しみを内に閉じ込めるだけではなく受け入れ、明るく社交的でユーモア溢れるな人物になれたのはどうしてであろうか。気付かれている人がおられるであろうが彼を支えていたのは詩であり文学であった。
実は威馬雄の父は、フランス系アメリカ人のヘンリー・パイク・ブイという人物で、日本美術を愛し日米を行き来期していた。離れている時は息子を家なきこの主人公である「レミ」の愛称で呼び手紙をしたため、日本に帰国した時には毎朝ヴァイオリンを弾いて威馬雄を起こし、世界の言葉で朝の挨拶を交わし続けたという。つまり共に暮らしている時も離れて暮らしていても父息子の関係性は愛情溢れるものであったことが、威馬雄自身の礎になったいたことは誰の目から見ても明らかである。その上でフランス系アメリカ人の父を持つ威馬雄は詩や文学にのめり込み、詩や文学の創作に向き合った。威馬雄は自伝の中で、「詩を書く喜びが自分を非社会的な方向へ追いやらずに済ませた」と振り返っている。つまり文学が心の支えになっていたのである。18歳頃からフランス文学の翻訳に取り組み、20歳前後でギ・ド・モーパッサンの作品の翻訳を出版している。上智大学で学び、詩人・翻訳家として活躍するようになるほどであった。威馬雄の文章は深刻なテーマを扱いながらも、どこか軽妙で洒脱なユーモアがあるのは彼の悲観や怨恨に終始せず、自分自身を少し客観視して笑いに変えるような文章が綴られているのは、彼自身の明るさからくるものであろう。今でこそ有名なフランスのシャンソン『ケ・セラ・セラ』(なるようになるさ)は威馬雄が娘レミのために訳したものである。「人生なんて誰にもわからない、なるようになるさ」まさに明るい威馬雄だかえらこその訳詩ではないだろうか。
それではまとめに入ろう。
平野威馬雄は差別偏見に苦しみながらも自分を卑下するのではなく、「自分は自分だ」という意識を持ち続けたことが彼の生き方だったような気がする。そのような生き方ができたのは詩や文学という自己表現の場を持っていたこと、好奇心と行動力が強かったこと、ユーモアや反骨精神で偏見に対抗し心を曇らせることなく客観視できていたこと、そして今回は記していないが差別の経験を他者支援へと昇華したことが大きな理由だと考える。彼の明るさは差別を受けなかったからはなく、むしろ差別や苦難を経験した上で、自分自身の人生に人から受けた差別や偏見という負の影響を残さず、自分は自分、何があっても心を乱さず光のさす部分を心の中に息づかせようとして培われたものだったと言えるのではないだろうか。
今回の平野威馬雄から学ぶことは、人生どん底、どう足掻いても前向きになれないという状況や心境に至っているのであれば、先ず自分が楽しいと思えることや気持ちが楽になるということに時間をあててみる優しい時間を設けても良いのではないだろうか。つまり子供たち一人ひとりが楽しいと思えるものを持たせることがいざという時に心を平穏に保つことに繋がるかもしれない。
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