偉人『武田信玄』
今回取り上げる武田信玄には戦国武将らしい豪快な話から、人柄がうかがえる逸話までたくさんある。例えば、立派な城を築くことよりも家臣や領民との信頼関係こそが国を守ると考えていたされることが伺える言葉 『人は城、人は石垣、人は堀』、また戦で攻めるときは風のように速く、静かにするときは林のように動かず、攻撃するときは火のように激しく、守るときは山のようにどっしり構える」という軍の心得の『風林火山』、そして諺として残る『敵に塩を送る』、上杉謙信と川中島で一騎打ちなど知略と軍略に優れ、国づくりにも長けた戦国屈指の武将らしいエピソードは多くある。今回は豪傑かつ器量人の信玄が苦手な芋虫を手にしたことから、子供が苦手を克服したらどのようなメリットがあるのかを取り上げる。
武田信玄が「芋虫(いもむし)が苦手だった」というのは、戦国武将の意外な弱点として気になる話である。武田信玄が本当に芋虫を苦手としていたのかは、史実として慎重に確認する必要があるが、 実は信玄の生存から200年後の江戸時代の随筆『甲子夜話(かっしやわ)』に、信玄と芋虫にまつわる逸話が記されている。そこに記されている内容は、信玄が芋虫をひどく嫌っており、家臣の馬場信房(馬場信春)が、三宝に芋虫を載せて差し出した。信玄は「取れないだろう」と挑発されたため、芋虫を握り、その結果、指や手のひらの色が変わったという話である。なぜ信玄が芋虫が苦手になったかという理由も史実として断定はできないが、信玄がまだ「太郎」と呼ばれていた幼少期から芋虫が苦手で、青年期にも克服できなかったとされている。つまり「甲斐の虎」と恐れられた武将になる以前に、芋虫を怖がるという意外な弱点があり、青年期にこの芋虫を握ったとすれば、かなり苦手なものに向き合い、克服しようとする経験が心理学的には自己効力感(自分にはできるという感覚)を高め、自信や精神的な成長に繋がったと考えられる。ではどのような効果が得られるのかを紐解いていく。
皆さんも何か一つくらい苦手としているものはあるだろう。それが幼い頃に苦手を経験し、時間が経てば経つ程克服が難しくなる。私が苦手で克服が難しいものが1つある。幼い頃追いかけられ突かれた鶏である。鳥全般を怖がる私に両親はインコを飼うことで古服させようとした。小さな鳥を目にしても怖がることは無くなったが、鶏だけは今でも別物として線引きをしている自分がいる。子供達の発達上で苦手を克服したら大きな産物を手にできることを理解はしているのだが、どうしても鶏を克服するのは難しいものだ。そう考えると信玄が芋虫を手に握ったということは想像を絶し、私なら気絶しているに違いない。苦手を克服することはいずれ提案記事で記すことにする。今回は信玄が苦手を克服したことで何を得たのだろうか。
子供達と関わる仕事をして絵いる私の経験と自分自身が克服できないものを持つ両方の立場で、武田信玄の逸話から考えられることは、幼い頃に生まれた苦手意識は、避け続けることで長く維持される可能性がある。その一方で年齢を重ねても、本人の意思で苦手なものに向き合う経験を積めば、恐怖を和らげ自信を育むことができるということだ。実は私にはもう一つ苦手なものがあった。それはカエルである。幼い頃に弟ととある池に取りに行ったおたまじゃくしの一部がカエルになり、水槽の水を換えようとした時に起きたアクシデントでカエルを誤って踏み潰してしまっとたことで、罪悪感が募り平気で手で捕まえていたカエルに触れることも近寄ることもできなかったのである。それが24年後克服するタイミングが訪れた。我が子がおたまじゃくしとカエルを飼育することになったからだ。その経験から伝えられることは、苦手なものを早く克服させることではなく、その苦手や失敗を段階を経てスモールステップで克服させることである。そしてそれ以上に子供の頃から失敗や恐怖を安心して経験でき、少しずつ挑戦できる環境をつくることで耐性をつけることである。そのようなことを行うことで、将来の自己効力感や挑戦する姿勢が作られるのである。
おそらく家臣の馬場信房が三宝に芋虫を載せた状態で持ってきたということに、家臣として、強さと勝利、 公平な評価と恩賞、家臣や家族を守る責任、人間としての器と判断力、信頼と尊敬に値する人格などさまざまあったであろうが、信玄よりも7、8歳年上の馬場信房からすれば、信玄が甲斐国を治め、他の武将と渡り合うためには自分の弱さを認識し、それに向き合う姿勢を持つことが重要であったと考えたのではないだろうか。そして敢えてそのような行動に出たのではないだろうか。家臣の馬場信房が苦手なことを克服した先に多くの産物を手にすることが理解てできていたかどうかはわからないが、この信玄のエピソードを心理学的な観点から捉えると、苦手なものに向き合う行動は、恐怖を乗り越える勇気だけでなく、自分の感情を制御し、自分の可能性を確かめようとする姿勢を表していると捉えることができる。つまり苦手なものに向き合う経験には、自己効力感、自信、感情調整力、挑戦する意欲を育む可能性がある。また一方で本人の意思と安心感を尊重することが不可欠であるが、信玄エピソードには芋虫を握った後の様子が記されず、家臣の馬場信房の挑発に乗ったとされることから、信玄自身の心の準備ができずまた段階を経ての克服ではなかったのではないだろうかと推測してしまう。
しかしその一方で武将としての働きである軍事だけでなく、政治、治水工事をはじめとする領国経営の各面で活躍した人物である。また人間的な側面を考えると武将としての強さだけでなく、家臣との関係や自分自身をどう律したかという視点から捉えると、信玄なりの歩みを踏み出せていることから苦手を克服した先の恩物はしっかりと受け取っているのではないだろうか。そう確信している。もし武田信玄が病に倒れず西上作戦を全うできていたら、織田信長や徳川家康と鏃をまじ合わせることが起きたくらいの武将ではなかっただろうか。たらればで想像したところでと思うのだが、歴史はたらればも面白いものである。
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