偉人『メアリー・カサット』

フランスの印象派から影響を受けたアメリカ人女流画家『メアリー・カサット』。彼女の作品を知る人は案外少ないものである。しかし母となり子育てをした経験のある者にとっては、どこかで一度は目にしたことのある作品ではなかろうか。1900年の彼女の作品の代名詞となったモチーフが母子像である。

1880年アメリカの裕福な家庭に生まれたメアリーは、両親の教育方針で世界を旅しながらロンドン・パリ・ベルリンで見聞を広め育つ。7~10歳までをパリで過ごし美術館を巡り絵画的刺激を受け、思春期を向かえる頃には絵画の道へ進むことを決めた。当時ブルジョワ階級の子女はデッサンを習い事としていたが、職業としてその道へ進むことは考えられない時代である。勿論両親は反対をするが彼女の信念に折れて、母と姉、そして彼女一家をサポートする友人らと共にパリへ移り住む。

当時女性が街を一人で歩くことも男性社会の中で学ぶこと、展覧会に出品すること全てが女性の立場からすると難しいものであった。そんな閉鎖的な社会で彼女が女流画家として道を開き、女性の地位向上や婦人参政権運動に影響を与えたのには母キャサリン・カサットの存在がある。

『ル・フィガロの読書』のタイトルで描かれているのは母キャサリンである。

彼女自身銀行家の名家に生まれ当時としては高い水準の教育を受けている。カサットの友人で母キャサリンを知る人々は、メアリーの芸術性や知性、活動的生き方はキャサリンの影響が大きいと語っている。

キャサリンは子に対して知識豊かで社会参加に活発な女性に育つこと、そしてその教育を強く願っていたとされている。メアリーが画家としての道を歩むとき父母共に反対の姿勢を打ち出しているが、22歳でパリに移り住むのに同行したのは母である。

ブルジョワ階級の恵まれた環境と母キャサリンの教育の指針と理解、先見の明がなければメアリーの人生は大きく違っていたであろう。また生涯独身であった彼女が『母と子』をテーマに作品を残すことができたのは、やはり母キャサリンとの結びつきの強さに由来すると考える。

彼女の作品は日常生活の一端を切り取ったものが多く、母子の絆や身近な人々を題材にしていた。子供もいないメアリーのモデルはいとこやその子供、知人たちである。

作品に対して辛辣な人々は絵画の隅を突くように、子と視線が合っていない、子の体を握る手に力が入りすぎて愛情を感じない、子の表情が曇って乳母任せの育児だなど酷評たるものだった。

子育ては四六時中笑みを湛えているわけではない。子の様子を真剣に観察したり、もの考えをしたするときに笑みを湛えていることの方が不自然極まりない。彼女の作品は母子のありのままを映しているのだ。その上で子供の肌の柔らかさを感じさせ、穏やかな母子の雰囲気を生み出し、見るものにその経験を回想させてくれ名画だ。その絵から醸し出されるのはやはり愛情を一身に受けてきた者の奥底から滲み出るものに他ならない。観察眼のある親に育てられた子も観察眼の鋭さがある。これは長年母子を見てきた経験で絶対的なものだ。彼女は子を描くときの難しさを発言しているが、何よりも母から譲り受けた観察力の鋭さで彼女なりの世界観を表現したのだ。彼女の作品からは母性を感じる人そうでない意見もあれば、私のように母キャサリンの愛情と母子の繋がりの強さを感じたりもすることもあろう。いろいろな感じ方捉え方があっていい。ただ母になった以上キャサリンのように母性というものを育て、子に母性という賜りものを授けてほしいと切に願う。

さて、緻密に描かれた母子の主題が多い彼女の作品は情感の移入を私達に投げ掛てくる。母性の目覚めと共に触覚的記憶の目覚めや欲求を呼び起こす技術が計算されているとも言える。彼女は印象派の画家であるエドガー・ドガからパステル画を学び、同時代の女流画家の友人ベルト・モリゾと共に日本万博の浮世絵を目の当たりにし、喜多川歌麿や歌川豊国から構図を学び多くの刺激を受けている。

母キャサリンが知識を学ぶようにと教育したことを受け継ぎ実践しているのだ。メアリー・カサットは自身の絵画の中に母に対する思い、娘であること、そしてその作品を完成させ母になったのだと思う。なぜなら晩年目を患い描くことから離れても母キャサリンが彼女にしたように女性の地位向上運動に関わる人々に支援をしているのだ。『子は育てたように育つ』そうこの言葉通りに。

せっかくなので絵画的話をしておこう。

当時の画壇は古典的作品が入選をし、新風吹き込む斬新な作品が認められることは無かった。背景は黒でなくてなならず、彼女の作品や当時の印象派を代表するルノワールやモネなどの作品は社会的に認められなかったのである。

彼女の作品の特徴として青のラインで筆触分割という短い線が背景に書き込まれている。これは人物の肌の質感をより透明にさせ豊かにリアルなものにするための技法である。このような新しいことを探求し追及する表現をしたのが印象派である。室内で描いてきた絵を外の日の当たる場所で描く当時の画期的手法であった。

古典的美術作品を見て育った彼女が新しいものを取り入れる許容があったのも母の常に知識を上書きするといった影響を多大に受けたのだ。しかし彼女は人生で筆を折ったことがある。それは兄と姉の死に直面したときだった。母は母子の絆だけではなく、兄弟姉妹の絆も確りと育んでいたことが分かる。彼女が両親の愛、特に母からの愛情を受け厳しい画界で生き切ったことは明らかだ。

私達の生きる現代は当時とは比べものにならないくらい情報に溢れており、子に与えられるものは存分にある。おもちゃだ絵本だと物理的な良質を与えるのも必要だが、何を差置いても与えるべきものは愛情である。教室に通うお母様方は愛情に溢れておられるので、次に何ものをお与えになるのかをお考えになってほしい。

最後に余談・・・某テレビ局で放映された『半分、青い』の主人公めありは、このメアリー・カサットから名づけられたそうだ。メアリーの青の使い方を知っている者はタイトルを聞いてあっと感じたに違いない。めありという主人公はメアリー・カサットの現代版だと。キャサリンのようにいろいろな視点で知識を深め子供に伝えられる何かをたくさん持っていたいものです。皆さんもお時間ありましたら『半分、青い』『メアリー・カサット』画集をご覧になってください。

毎週月曜の子育てサジェスチョン記事に登場する絵画は暫く彼女の作品を用います。記事とあわせてご鑑賞ください。



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