偉人『マリア・テレジア』

「私は最後の日に至るまで  誰よりも慈悲深い女王であり  必ず正義を守る国母でありたい」

今回取上げる人物オーストリア・ハプスブルグ家の継承者マリア・テレジアの言葉である。またフランス王妃マリー・アントワネットの母でもあることも念頭においてほしい。


父皇帝カール6世の死後、周辺諸国との王位継承戦争から国を全力で守り、義務教育や病院の整備、社会福祉に力を入れた偉大さを持つ唯一の女帝である。

彼女の堂々とした肖像画を目にする度、名家ハプスブルグ家の血を引く誇りと意志の強さを感じる。

当時王位継承ができるのは男子であったがカール6世は男児に恵まれなかった。彼は死の間際娘マリア(テレーゼ)に国を託した。

なぜマリアはオーストリアを虎視眈々と狙う列強国から国を守れたのであろうか。それは幼少期の過ごし方に関係している。

皇女として誕生した彼女は帝王学的教育からは遠く、かなり自由奔放に育った。しかしその活発さは神学や語学、芸術や舞踏に活かされ多くを学んだことは、彼女の若かりし頃からの行動を見れば明らかだ。またもの心付く頃から父の背中を確りと見つめ学び、名家の一員としての誇りを膨らませていったに違いない。そして彼女の言葉にあるように常に人生を真面目に生き、学び続け、優れた助言者を傍らにおくことを実践した。そして父カール6世の目に適った伴侶フランツの財政管理があったからである。

幼い頃から意志が強く聡明で利発な彼女は、先進的ものの捉え方に長け人を惹き付けるだけの裏付けを持ち、ハンガリー国民への救援依頼を24歳で幼子を抱え自ら乗り込みおこなったそのバイタリティーはハンガリーの騎士団の心を打ったのである。

自由奔放に育つという言葉の裏には、私自身活動的に遊ぶこと以外に思考し学び我慢し困難の糸口を見出し、更に解決策を見出し工夫しながらという意味が含まれると考える。ただ単純に活動的に動き回ればいいというものではない。そして動というものの対極にある静という学習にも培った能力を発揮したのだ。世に言う運動や芸術系もできて学習もこなせるという人物のことをさ指す。そこへ自らのアイデンティティーの確かさが加われば無敵だ。私の拙い想像でもその確かな道を歩んできたことが手にとるように分かる。彼女の幼少期については記録がなく明らかにされていないが、幼少期から良き参謀役の人物がいたに違いない。

女帝マリアは「子供は何人いても多すぎることはない。」といい父が苦悩した継承者問題を16人の子供を出産し解決している。男児は継承者、女児は国と国とを結びつける立場として20年間国を統治している。彼女は母であるため子供への愛情があった。躾は大変厳しく、それぞれの子に対し「読書は私達の頭も心も豊かにするただひとつの方法」といい様々な学びをするよう教育をしているが、そんな彼女であっても手に負えなかった末娘がマリー・アントワネットその人だ。

15番目の末娘マリー・アントワネットは天真爛漫で明朗快活な一面があるものの、学習に関しては全く身が入らず注意散漫で集中力もなくかなり手を焼いていた記録が残っている。行動が軽率であることを母は心配し輿入れまでに寝室を共にし、王妃になる心得を切々と説いたという。しかし母の思いは届かなかったことはいうまでもない。

14歳でフランスに輿入れしてからは、毎月21日に母からの手紙を読むことができるよう輿入れ時には35人もの郵便配達員とお目付け役も同行させている。その母娘のやり取りは11年167通にも及び、母は娘に読んだら返事を直ぐに書き届けた者に渡すこと、そして母からの手紙を秘密裏に捨てるよう約束させている。しかし母は自ら綴った手紙を書写させ、娘からの手紙を信頼のおけるものに託した。それが15年程前に母と娘の往復書簡として本になったのである。

読み進めていくと女帝であっても一人の母であることが分かる。陰謀渦巻くベルサイユでその渦に巻き込まれることなく立振る舞うようにと母は繰返し軽率な行動を窘めるも、その思いが娘に届かないもどかしさを抱えつつ、辛抱強く諭し時には叱咤し娘を導こうとした。偉大で凛とした国母でありながらも、娘の将来に不安を抱き手紙に綴る母の深い愛情が胸に迫る。彼女が娘であるフランス王妃の悲劇的行く末を見通し守るために苦悩している様子が美しい言葉で綴られていることが切なくなる。

子供を16人も生めば色々な気質や性格を持っている子供たちが誕生する。同じように育てても賢い子もいればそうでない子もいる。だからこそ一人一人を見て適切な対応をとる必要がある。3歳までなら子の気質を受け親の対応次第で如何様にも育てることができる。そして幼稚園児でその行動や立ち振る舞いはある程度形成されると断言できる。小学生以降になって課題を修正することは、時に親子間で対立をしたり、子の抵抗にあったり、親の熟知たる思いが湧いて来たりと様々なことが表面化する。マリア・テレジアとマリー・アントワネットの間にも同様のことがいえる。

彼女は国母として生ききった。そして母としてできることの手は尽くしたが、他国で無実の罪を着せられ斬首台の泡と消えた娘を救うことはできなかった。なぜなら子を育てる最も適した時期を逃し、母がこれではまずいと教育をし直そうとした時は既に遅きだった。きっと幼い頃から娘の浅はかさや未熟さは理解していたであろう。しかし一国の舵取りをする立場では我が子に注視する余力は無かったに違いない。

マリア・テレジアその人から学ぶべきこと・・・それは子を慈しむだけではなく、注視すること、修正すべき点は最適な時期に確りと対応することではないかと考える。

子を人として育てる最良の時期は3歳までである。その後は生まれ持った資質や素質をいかに伸ばすか、そして負の要素を積ませないかが重要である。その後に幼児期から小学生にかけて社会性や素養、人格形成の土台を作りやその調整、修正を行うことをし、最後は我が子を信じることだ。乳児期に最も関わりを持ち、年を重ねるごとにその体感的距離は離れ、やがて心の繋がりを深めることになる。そんなことを考えると乳児期のお子さんをお持ちの方は、今をいかに大切にすべきか再確認してほしい。

次回は娘マリー・アントワネットが自由奔放で稚拙な行動をとった頃から母になり成長し変化していくことを育ちという視点で記すこととする。


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