提案『全ての中に学習あり』
私の子供時代のことを話しますと母は子供達に何でも自分でさせることを心掛けていました。おやつはそれぞれというよりも必ず等分させ「喧嘩しないように分けなさい。」が合言葉でした。
ケーキもアイスクリームも、これはないでしょと思うハンバーガーや兄弟が大好きなお使い物の三角型のジューシー1つさえも分けさせることを貫いていました。今思えば兄弟仲良くが母の意図する所だと思うのですが、このことが多くの学びに通じていたのだと思います。
パンは長さの学習に、ケーキやハンバーガーは分数や角度の学びとなり、三角型のジューシーは図形力に通じ、ジュースはかさの学び、大好きなスパゲティーは本数を数えての割り算にと。このように数十年前の子育てにはこのような学習の前段階と遊びのような経験が多く存在していたように思います。
しかし世の中が便利になり、時間に終われる生活が多くなるとこのようなことが面倒になった親御さんが増えてしまったように思います。既に小分けされている小袋の包装も原因かもしれませんが汚されると面倒だから、子供が失敗すると後片付けが大変だ、兄弟喧嘩になるのを避けたい、親がやってしまうことが迅速にことが運び面倒がないなどの理由から子供が学ぶ絶好のチャンスを奪う結果になってしまったのです。親の過干渉が子供の成長の芽を摘んでしまう可能性があることを自覚する必要があります。
私達大人は学習の経験値がありどのような遊びや失敗の中にも学びが存在することを知っています。失敗しないことも学びですが失敗してからの学びも必要です。大人の考え方ひとつで学びの幅を広げることができるのです。例えばミルクを溢さないためにはどうすればよいのか、溢したミルクをどう処理するのか、溢したミルクを集めてどのくらい溢したのか量の確認をさせかさの学習に結びつけるのもよし、さらさらな液体とどろっとした液体の零れ方とその広がり方はどう違うか、見方を変えて『覆水盆に返らず』の諺から類義語である『ほぞを噛む』などの言葉の学びに転化してもよいでしょう。そのような促しを親が考えることにより子供の可能性は更に広がることは明らかです。
このような新しい視点で子供達への関わり方を実践することが、親子共に思考の幅を広げ、深く考察し、ひらめきを生み、生きる楽しさを学べると思うのです。そしてその年数を積み重ねることで人生が豊かになれるのだと確信しています。一つの事象を見たときに幾つもの映像や思考が思い浮かべられることほどその子の経験値の厚さや強みが出てきます。
学習だけでは太刀打ちできない子供達の将来に備え、豊かな遊びの幅を広げてみてはどうでしょうか。
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