絵本『よるくま』

個人的に大好きな作品です。母と子の何気ないおやすみ前の会話、男の子の自立、他者への共感、なぐさめ行動・・・どの場面を切り取っても子供と母の関係性を捉えた美しい絵本です。

よくワーキングマザーにとって定評のある絵本として注目されている面もありますが、お母様方には働くことで子供が寂しい思いをしているのではないかと否定的に捉えず、働いていても獰猛密な時間を持つのかと言う捉え方で、短くとも良質なそして濃密な時間を紡ぎだして欲しいと考えます。

ママ あのね・・・・から始る男の子の声を受けて「まあ まだ おきてたの」との優しい母の言葉掛けからこの物語は幕が開きます。

実際に働いていると家事は山ほどあり、子供が早く眠ってくれることばかりを考えてしまいがちですが、「ママ あのね」の言葉に含まれている子供の思いに数秒だけでも耳を傾ける行動なのかなど想像しながら読み進めて欲しいと思います。

私も日々子供達と接していると「あつこせんせい」「このまえね」「ぼくがね」「ようちえんでね」など子供が最初に発する何気ない言葉を聞き落とさないようにしています。なぜならその数少ない言葉の中には多くの意味を汲み取ることができる成長が隠されているからです。幼稚園で嫌な事があったんだと話せば心の持ち方や切替え方を教える必要があり、喜び勇んでの言葉なら同じように喜んで同調し、困ったことがあるようなら自分で考えて行動が起こせるようなアドヴァイスを幾つか提案します。時にはご家庭での解決を図る動きをしなければならないこともありますが、それも全て子供の健全な成長のためです。

「ママあのね」の後に続く話もゆっくりと視線を交わしながらお話が進んでいきます。

お母さんを探しているよるくまに寄り添い、抱きしめ、なぐさめ、共にお母さんくまを探しに出かける行動は、全ての子供が取れる行動ではありません。自分と他者の切り離しができる発達を迎え、他者に共感できる思いやりや優しさを育んでいないとできない行動なのです。

この絵本から予想できることは、この男の子が他者を思いやることを身につけることができていたということです。幼稚園や保育園でこのような行動を取れている子供の多くが、人形遊びをしていたり、親御さんとの関わりの中で気持ちを同調させる経験をしている場合が多いものです。ですから親御さんが先ず子供に同調することや寄り添うとなどの行動を示すことも子供に示す手本となるのです。この場面を専門家の目線で見るとこのような解釈になるのですが、純粋にこの絵本の奥深さを感じつつお子さんとの関わり方を再認識できるのではないでしょうか。

お話はよるくまのお母さん探しに町へと出掛けます。とあるお店に公園、夜更けの待ちを見渡してよるくまの家を探しても見つからないことをママにゆっくりと話し掛けています。もし我が家の場合はなんて考えてみたことはありませんか?早く寝て欲しい場合に子供がとうとうと話してきたら・・・ゆっくりと腰を下ろして話を聞いているでしょうか。私の経験からすると長い人生の短い子育ての時間こそ、時間を取るべきだと考えています。

母くまを探しても見つからないよるくまは不安になり黒い涙を流します。その不安の涙でいっぱいになり周りが真っ暗になります。以前この本を読んだお母様が「子供は夜が怖いと思う感情があるのにこの場面でその不安が助長されるのでは?」と質問を受けました。もしこの絵本でそこにスポットが当たり強烈な印象が残る場合には、その先に転ずる流れ星以降のストーリーを熟読できていないと思います。よるくまが抱いた不安は、よるくまのお母さんのセリフ「ああ あったかい。おまえは あったかいねえ。きょうはこのまま だっこして かえろう。」に着地します。あったかいはいつも側にいる、離れていても必ず戻ってくるというメッセージであることを感じる環境を作ることが親として重要であると考えます。

時に不安がる環境がある場合や経験をさせた場合には、その不安を埋める必要もあるでしょうし、逆に暗いところは怖いと親が暗示にかけている場合もあります。いろいろなパターンがあるでしょうが、大人が絵本を深く読み込むことんで対応できることはするということが必要だと考えます。

小さな男の子がママに話し掛けるストーリー展開が、最後は子供の眠る姿や寝顔、母の優しい手で終わるシーンは、母子共有時間を最後の最後まで体験できる作品です。私の子供もビーニーベイビーズ ニッポニアのブルーを抱いてこの作品を読み、寝むる映像が毎回そのシーンとダブって脳裏を過ります。この幸せな思い出の時間を若いお母様にも数十年後に経験して欲しいと切に願います。


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