偉人『ヴィクトリア女王』

独身の20代、展示会業務残業の日々は仕事のことが頭を離れず緊張感で張り詰めていた。その反動でリフレッシュ休暇をもらうと海外や国内旅行に出掛けようとする気持ちすら湧かなかった。ただただ家でのんびりしたかったのである。そのタイミングで没頭したのが歴史上の人物の映画を片っ端からレンタルして鑑賞したことである。今の私のブログの糧になっているのは言うまでもない。

七夕の週であることから織姫と彦星のように固い絆で結ばれた人物で、尚乳幼児教育を紐解ける人物ということで大英帝国を築き最も輝いた時代のヴィクトリア女王に白羽の矢を立てたのである。

彼女が女王として在位したのはエリザベス女王に次いで第二位の64年である。18歳で即位し81歳までの長き人生でこれほど一度愛した人を深く愛し続けた女王は居ないのではないだろうか。

彼女を取り上げた書籍や映画でその人となりを描いているのを見ると、大変な堅物で気難しく、短気で感情的な人物である様子が共通して描かれている。しかし昨今はヴィクトリア女王の心象が変化しつつあるのをご存知だろうか。

今回は発見された日記の事実をもとにヴィクトリア女王の幼少期に迫ってみる。

1819年ロンドンのケンジントン宮殿で父ケント公エドワードとドイツ公国出身の母ヴィクトリアの一人娘として誕生する。若い王の崩御や後継者のいない先王が相次ぎ、王位継承順位5位のヴィクトリアが女王が18歳で即位したのである。当時の乱れた王室に対して国民は落胆していたが、彼女のしっかりとした考え方やメッセージが新しい時代の幕開けを国民に感じさせた人物である。

しかし彼女の身近には権力争いや若き女王に取り入ろうとする者、彼女を操ろうとするものの存在もあり大変孤独であった。しかし彼女の孤独は女王になる以前から存在し、それは母ヴィクトリア(マリー)によって与えられたものであった。

母マリーはドイツ公国出身であったためスキャンダルだらけのイギリス王室から娘を遠ざけて育てる事にしたのである。勤勉で生真面目で秩序やルールを重んじるドイツ人気質からすると、自由で社交的でイギリス人特有の個人主義的ものが理解できなかったのだろう。娘が荒んだ王室の影響を受けないように王室の生活から隔離し厳しく躾けたという。同年齢の親しい友人もおらず孤独な幼少期を送り、たまに訪れる近しくない知人が旅立つ時でさえも孤独や見捨てられることから生じる寂寞に苛まれたという。

彼女は母の神経質すぎる管理下に置かれることで感情的になる事もあり、短気で劇場的に振る舞う事も多く彼女の理性の働かない起伏の激しさと堅物で気難しい性格が形成されたと考える。

しかし彼女の奥底には人恋しさという感情も育っており、一度好きになると強く思い続ける愛情があり、そのことを彼女の人生から垣間見る事ができる。例えばヴィクトリア女王が一目惚れし結婚したドイツのザクセン=コーブルグ=ゴータアルバートが42歳で急死すると、10年間夫が建てた城にこもり、人の目に触れることをせず、山のような書簡を前に夫の残した城で政に携わり、生涯喪服を纏い夫の喪に服したのである。また夫の死の原因を作った息子バーティを叱咤し確執さえ生んだのである。子供以上に夫を愛す愛情の深さはどこから来るのか考えると、やはりそれは国を背負うという女王としての立場や孤独感を最も理解してくれる夫であったのだろう。

ヴィクトリア女王にとってなぜ人をそこまで強く深く愛せるのかを考得てみる。

私が勝手に想像するに2つの要因が考えられる。まず1つ目は父ケント公を幼くして亡くしている事、そして母に厳しく管理された状況で育てられたことである。

子供の人格は何事も受け止めてくれる母性性をしっかりと構築させ、人を信じる事ができる愛着形成を構築させてから社会性や秩序性を教える厳しさを父性性という形で注がなければならない。がしかしヴィクトリア女王の場合は、母の手による父性性の秩序やルールを重んじその厳しさを全面に出し過ぎた父性性の躾の行なったために、母性性の愛情を満足いく形で受け取る事ができず感情の起伏の激しさと気難しさ獲得し、その反動で父が生きていたら現実は違っていたのではないかと亡き父に母性性を求め、その愛情を埋めるかのように自分自身を理解する人を見つけ強く深い愛情が形成されたと考える。

彼女の幸はその不足した部分を受け止めてくれる夫や執事、政治を指南してくれる人物や使用人と出会えた事である。

彼女の寵愛を受けた執事のジョン・ブラウンが亡くなった後は、彼の部屋をそのままにし毎朝白ばらを彼のベッドに捧げるように使用人に指示していたという。また晩年の彼女がインド人の若き使用人から多くのことを学び、宮殿の中でその関係に眉を顰め批判をする人々を一喝した事から彼女の持つ内面性の凜とした部分の美しさも兼ね備えていたことが理解出来る書簡が発見された。彼女は身分や人種、年齢、言葉、宗教を超えた愛情に素直に向き合う人物であ理、世間一般的な彼女のイメージとは異なる人間味溢れる人物像も昨今知られるようになった。

母親の厳しい環境での育ちを考えると歪な人格形成になってもおかしくないと考えるが、そうならなかったのは女王としての威厳やプライド、理解者に恵まれたからであろう。

人間は人の愛情を生まれながらに欲する生き物であり、その愛情に応えようとするのもまた人間である。幼い頃に愛情を得る経験が希薄であった彼女が、その穴を埋めるかのようの良き理解者から多くの愛情を受け取り、それが満たされた晩年は自ら人のために尽くす事を行動にうつしたのである。ヴィクトリア女王の人を愛する強く深い思いは世界4分の1の人口と領土を持つ頂点に立つエネルギのー源となったのではないだろうか。

子育て中のお母様方には母性性の愛情が重要であることをまず認識し、不足しているのではないだろうかと心当たりがある場合はその部分を埋める愛情を注いでほしい。それは物欲的欲求の穴埋めではないく心を通わせる愛情の埋めである。


先日ある記事でエリザベス女王が自分自身の孤独を一番理解できる人物は世界の中でも昭和天皇であり、昭和天皇との時間を希望し話をされたという記事を読んだ。大きな国の王室や皇族という立場は私達が考えている以上に孤独なのかも知れない。さすればその思いを理解できる相手を身分や人種、言葉や宗教を越えて意見や理解を求めるのは当然の事である。その記事を目にしたときに真っ先にヴィクトリア女王を思い出したのだ。


ヴィクトリア女王は特別な立場の人間であったが、その事実を指し引いても一人の人間の健全な心の育ちというものを母マリーは阻むべきではなかったと考える。どこの世界のどのような立場の子供でも先ずは母性から与えられる愛情を平等に与えられるべきである。そしてその次が父性性である厳しさである。この順番はどのような時代であっても変えてはならないものである。

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