絵本『桃太郎が語る桃太郎』

初めてこの作品を読んだ時「なんと楽しい作品なのだろう」と繰り返し繰り返し読んでみました。お気づきかもしれませんが、登場する鬼は赤鬼青鬼だったはず・・・なぜ緑の足?そんな疑問を持ちながら手に取って読んでください。

これまでの昔話の桃太郎が客観的に悪さをする鬼を退治に行くというストーリーだったはず。しかしこれまでの桃太郎話と一線を画し、想像だにしなかった桃太郎物語が始まります。

これまでの桃太郎は洗濯をしていたお婆さんの前に「どんぶらこ どんぶらこ」と桃が流れてきたところからお話がスタートする作品が多かったのですが、この絵本は桃太郎の目線や想いが主体なので、誕生する前の桃の中にいる場面から物語が始まります。読み進めて数秒で「してやられた」桃太郎の目線で描かれているという何か嬉しい敗北感を感じた作品でした。

桃の中にいる桃太郎の心地良さを母親の体内と同じように感じて子供たちは生まれてきたのであろうかと思いながら、鼻先を甘い桃の香が流れ行くような幸せな錯覚を感じながら読み進めていくと、誕生した瞬間の手足を伸ばすような開放感をなぜか実感できる自分がいます。きっと私が誕生した時もそうであったんじゃないかと想像をめぐらしたからでしょう。

そうこうしながら読んでいくうちにこの絵本は、読み手自身が自然と桃太郎になっているような気分にさせてくれます。

桃太郎の全体像は全く描かれておらず、手や足だけが出てくる挿絵に仕掛けがあるからでしょう。そして最後に桃太郎の身に付けていたものが置かれている状態に同じものを見に纏って桃太郎ごっこをしたくなる自分自身がいます。

この作品は1人称童話シリーズとして出版されている作品です。この作品に対して賛否両論ありますが、その中でも昔話としての役目が歪曲されているようで皮肉さがあっていかがなものかとのご意見を耳にしたことがありますが、そもそも昔話は読んだ後に想像をめぐらして子供自身が自分の立場と登場する人物などの立場を置き換えて俯瞰しながら、人の道を守ること、善悪を判断し善を行おうとするルールいついて、相手を思いやることなど想像することで心を育むための昔話だと私は考えているので、この作品のように『桃太郎』という作品が桃太郎の思いや視線で描かれていたり、また鬼の立場で描かれている作品があってもいいのかと考えています。

昔話だからこうなければならないという事ではなく、グローバル世界になり多種多様な人種や環境で育った人々が、いろいろな意見や考え方を持ちお互いを尊重しながら意見を出し合い考える時代だからこそ、想像力を持って読める作品があることは喜ばしいことだと思うのです。時代の変遷とともに捉え方が異なる作品が出てくるのは当然至極のことだと思います。そしてそこにはどんなに時代が変わろうとも普遍的なものは存在するもので、変えてはならぬものもあるものがありそれをどう子供達に守り伝えるべきかを大人が判断しすべき事ではないでしょうか。こどもの日に向けて子供の普遍性や躾や教育の普遍性とは何かを考える日にしても良いのではないでしょうか。

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