提案『兄弟姉妹の喧嘩』

エネルギーの塊である子供達というのは、なぜかほんの些細なことから兄弟の喧嘩が始まります。誰かが叩いた、手足がぶつかった、おもちゃを取られた、勝手に自分のものに触った、遊んでいるのに邪魔された、おやつを食べられた、誰のオカシイが大きい小さいなど・・・挙げるとキリがありません。親としてはお願いだから喧嘩しないで平穏に過ごしてほしいと思う日々がどこかのご家庭で今も繰り返されていることでしょう。親にとっては悩ましいこの兄弟姉妹の喧嘩ですがなぜ時代が変わっても繰り広げられているのか、そこには子供達の発達と社会に出ていくための学びが深く関係していることを考えてみたいと思います。


1、兄弟喧嘩をする意味とは

親が日々頭を悩ますことに兄弟姉妹の喧嘩があるという方も多いかも知れません。喧嘩がなければ平穏な時間が流れ心穏やかに過ごすことができますが、喧嘩が一旦始まると親としても対応を迫れるので疲れてしまいます。よりによって手が離せない時に喧嘩が始まると嘆いている親御さんの悩み相談も受けたことがあります。

しかし兄弟姉妹の喧嘩にはそれ相応の意味があるのです。まず第一に兄弟姉妹は距離が近く気心が知れているため遠慮がなく自分自身の感情をぶつけやすいといえます。第二に自分自身の満足度を満たし個を育てる発達期にある子供たちは、遊びの中で楽しいやり切った満足した自信がついたなどの自己肯定感を高めるのです。その時に使用するツールとしておもちゃなどの取り合いが加熱するというわけです。事実年の離れた兄弟姉妹にはこのようなおもちゃなどの取り合いはほぼ起こらず年長の子供が譲る光景が見られます。

兄弟姉妹だからこそ、年齢が近いからこそ兄弟姉妹の関係性の上で子喧嘩をし供たちはコミュニケーションを図るのです。そして相手の言い分や痛みを知り、自分自身の感情をコントロールすることで社会性を身につけていくのです。

ご家庭の方針で兄弟姉妹の喧嘩を生み出さないように子育てをされている方も一定数おられます。目にみえるような兄弟喧嘩がなくても小さないざこざがあるのが子供達の発達で、私はこのような場合でも形を変えた兄弟姉妹の小さな喧嘩と捉えています。兄弟姉妹の喧嘩とはエキサイティングするものばかりではなく、相手に対しての不満や不平も持ち、相手を理解するための自然な姿だと考え捉えるるべきものなのです。



2、喧嘩を見守る

私が子供の頃は兄弟姉妹の喧嘩が行き過ぎると喧嘩両成敗として両者ともに責任を取らされる経験をしましたが、基本は子供同士で解決するものとして突き放されていたような記憶もあります。親は徹底した平等を通していたように思います。ですから親から受けた教育は自分自身の子育てにもそのまま受け継がれていきました。喧嘩をしても嫌な思いが残るだけ、嫌な思いが残るだけならばしない方がいい、ならば仲良く遊ぼう、互いに尊重し合い譲り合いを行えばなかなか楽しい時間が過ごせるものだ。そして仲良く遊ぶことがどんなに素敵だろうと祖母から言い聞かされ言い含められたのでした。私の場合には祖母の生きていくための教えであるムンナラーシーが子育てに本当に役に立っていました。このような教えをしてくれる大人の存在はとても重要だと考えています。

先日生徒さんが弟君くんに対して嫌だという感情を私に訴えかけてきました。よく聞くと朝食時に食欲がなかったため少ない量の器を取るつもりが、弟にそれを取られて不満が溜まっているようでした。本当に些細なことなのですが、その日の夕方までその感情を持ち続けることがいかに自分自身の心を曇らせているかに気づかせたり、『弟も食欲がなかったのかな?』と気付かせるのも大人の役目かも知れません。

この親が喧嘩を見守るには親の配慮も必要です。例えば年齢的に子供同士で話し合いができる4歳以降の場合には、見守りつつ子供どうして解決できる方法をサポートしてあげます。また自分自身の欲求を主張する低年齢の場合にはルールがあることを伝えながら代用品で対応する方法を取ることも必要になります。



3、兄弟姉妹の喧嘩には明確なラインを決め事前提示する

喧嘩というものは小さなものであればさほど問題はありませんが、感情がエスカレートして大人が見ていて『これはいけない』とのラインを子供達に明確に提示しておく必要があります。

例えば人の生死や人格否定をするような言葉は使わない、大きな怪我に繋がるような乱暴は働かない、物に当たらないなどの事前提示を日頃から伝えておくといないとでは大きな違いが生まれます。一度喧嘩が始まってからではこのようなことを伝えても理解もできなければ、全く耳にも入りません。日頃から喧嘩に備えた話をしておくことは、子供がいち早く落ち着きを取り戻し話し合いができるようにするきっかけにもなります。

私が子供の頃男児は売られた喧嘩はかい、やられたらやり返せというのが一般的な考え方だったような気がします。そして親から喧嘩のルールというものを叩き込まれていた一面もありました。私の両親はお尻以外叩いてはいけない、そして叩く時には必ず素手と決められており、それを破ると烈火の如く叱られものでした。私が覚えているのは弟の背中を素手で叩いた時に脊髄の重要性や怪我をした時の後遺症について懇々と諭され改心した覚えがあります。そして半世紀近く経っても背中を叩いた瞬間に「あっ、やってしまった。そこはお尻じゃない。背中だ。」と自分自身の行動を俯瞰している記憶が残っています。このことが越えてはならないラインがあることを実感した時であり、自分自身を見つめ直す機会だったように思います。

現代は私が育ってきた環境が通らない時代になりました。暴言を吐かず手をあげず、話し合いで解決することが喧嘩のルールとなっています。ですからご家庭の方針を明確にし子供たちへ喧嘩のルールは教えておくべきだと考えますが、一方でお友達への対応と兄弟姉妹への対応をどのように教えるべきなのか悩ましいとも言えるでしょう。ただ言えることは一線を越えたら親は毅然と対応すべきだということです。



4、喧嘩になった時のルールを決める

喧嘩の理由を考えてみるとおもちゃなど物の奪い合いが断トツです。物が介在する場合には最初に使っていた人が優先になり、その使用も満足いくまで使わせるということです。中途半端に一定時間で区切り次に使用する兄弟姉妹に譲ってもそれは互いに不満を残すことになります。先に使っていた者が満足いくまで使用し、その後次の者に渡すことがひいては他者への思いやりを育てます。「この前は私が使って待たせちゃったから今日はどうぞ・・・」という具合です。また待たされる者もじっと堪えて待つと言う経験に磨きをかけることができます。そうはいっても子供たちは待てず邪魔をするかも知れませんが、その時には邪魔をしたり待てない場合には使用させないときっぱり伝えることも重要です。また待つことができない低年齢の子供には代用品を与えることも対策の一つです。

他に身体に触れた叩いた行動を邪魔をされたなどの喧嘩については、状況を精査して互いにどうすべきかを子供達で考えさせ解決できるように促します。大人がこうだああだとと判断するのは簡単ですが、子供達も自分自身の感情に折り合いをすぐにつけることができない場合もあるためじっくり考えさせることや気付かせることが親や周りの大人のすべきことなのです。



5、子供同士での関係修復を

喧嘩をしたことで子供達のどちらが悪いと言うような結論を出すことはお勧めしません。喧嘩をした子供たちは自分が悪いとわかっていても素直にその場でごめんねを言える子供ばかりではありません。自分の感情がおさまり気持ちに整理がついてくると子供同士で自然と歩み寄り何事もなかったように遊び始めます。喧嘩をした後の関係修復を自ずとできるように見守ることが親の役割で修復を強制することは望ましいことではありません。さっきまで喧嘩していた子供達が力を合わせて一つのことに取り組むことはよくあることです。ママの留守中にクッキーの箱を兄妹が力を合わせて取り、仲良く食べていたなんてこともどのご家庭でも起きていると思います。ただ私たち親は普段から悪いことをしたら素直に「ごめんね」と言えるように子供に促し、謝られた方は「もういいよ。一緒に遊ぼう」と相手を許すことを子供達に教えておくことも心に留めて育てていきたいものです。

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