絵本『おじいちゃんのくるみのき』

敬老の日を来週9月15日に控え今回取り上げる絵本は、おじいちゃんと孫娘のくるみを植える交流を通して命の繋がり描いた作品を取り上げます。

この作品の重厚感は人としての考えるべきものを深い色合いで表現しているように感じると共に、もう一つ印象的なのが表紙にタイトルが書かれていないことです。このタイトル名がないことの意味はなんだろうかと考えながら読み進めると一つの結論に至ったのですが、そのことをみなさんも考えてもらいながら読んでいただきたいと思います。

ある日おじいちゃんは孫娘のエミリアにくるみの実を託します。そのくるみの実はおじいちゃんが故郷を離れ移民時に手に携え、かた時も離さず大きく育てた木から得たものです。

おじいちゃんはくるみの実を一緒に鉢植えにし、水のやり方から日の当て方まで孫娘に教えていくのです。やがて芽が出て成長し鉢の植え替えが来たタイミングで、手の震えが出てきたおじいちゃんと共に植え替えができずママと行うのですが、くるみが無事に成長するのか不安になります。するとおじいちゃんは「素晴らしいことが起きるには時間がかかる。自分が見られなくなっても必ず起きるんだよ。」と言葉を残します。

徐々に年老いていくおじいちゃんの手の震えという様子は、私の祖母にもその様子が見受けられあまり時間が残されていないことを子供心に感じたことがありました。いつかは家族の元を離れる時が来ることをおじいちゃんは感じていたかもしれません。そして自分自身が家族の元を去った後も庭にどっしりと根を張る自分の大木の横に娘の木と孫娘の木と共に存在することを残しっておきたかったのかもしれません。

「これはおじいいちゃんの木、一緒におじいちゃんと植えた私の木、おじいちゃんに愛された」という思いに至る素晴らしい時が来ることがおじいちゃんには見えていたのかもしれません。作品の中の『素晴らしい時』を私はこのように解釈しましたが、みなさんはどのように解釈するでしょう。

くるみの木の成長に反しておじいちゃんとの永遠の別れがやってきますが、祖父と孫娘の温かな心の通わせがやがて次世代に繋がれていくことの素晴らしさを形にした作品です。思わず竹内まりあ氏の『いのちの歌』を聴きたくなってしまいました。

日本人なら桜の苗を植えるでしょうか?我が母は祖父が銀杏の木を門の脇に植えてくれていて、秋になるとその銀杏の葉を拾い集めていた記憶があります。それぞれのご家庭で植えるものが違うでしょうが、いのちのバトンを渡すときの思いは似たような思いがるのではないでしょうか。

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