偉人『ワンガリー・マータイ第2弾』

長い人生一つや二つ電撃に打たれたような言葉や物語に出会うことがある。その言葉を心に刻んで人生を歩む者もいれば、時折思い出しふと我に帰る者やそのことにすら気づかない者もいる。今回は取り上げるワンガリー・マータイは感銘を受けた言葉を自分自身の人生の中に取り込んで世界の潮流を変えたのである。今回は彼女の行動の源泉となった南米の民話『ハチドリの一雫』と彼女の活動の幅を広げた日本の『もったいない』との出会いが彼女の心にどのように響いたのかを考え、モノを見極める彼女のアンテナ名がどのように作られたのかを考えてみる。

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先ずは南米の民話『ハチドリの一雫』から入ろう。

森がけたたましく燃え上がり炎と煙に巻かれた動物たちが我先にと逃げ出す様子からこの物語が始まる。多くの動物が呆然と燃える森を前にどうしようもない無力感に襲われ立ち尽くしている中、クリキンディという一羽のハチドリが小さな嘴に一滴の水を汲んで炎の上に何度も落とし続けていた。その様子を見ていた他の動物たちが「そんなことをしてなんになるんだ」笑い蔑みるとハチドリはこう答えるのだ。「私は、私のできることをしているだけだ。」取るに足らない力であっても行動を起こすということの意味の深さを象徴している物語である。

この物語を読んで「ふ〜ん、そうなんだ」と感じるだけではワンガリーのような行動は起こせない。私が子供達の教育においてこのような場面に出会ったときにこそ、多くの立場や意見の違いを想像させるべきで自分自身の頭で考える癖をつけさせるべきだと常々伝えている。

この民話に感銘を受け実際にハチドリのクリキンディのように行動を起こしたワンガリーの最初の活動は、まさにわずか七本の木を植えることから始まった。ケニアの人々の多くが彼女の活動は大火に落とす一滴の水のようなものだと活動を揶揄したが、その活動は微力な女性たちの手を借りて徐々に拡大し、やがてアフリカの砂漠化した土地にのべ10万人の参加で5100万本もの植林をする大きな活動になった。ワンガリーが自分自身の力がとるに足らないものであると分かっていても、その活動をどのように広げるべきかを想像と思考で計画し、裏付けされた知識で算段し行動に起こした。自分自身のできることを信じ、自らの知識の上に行動を起こせば確実に祖国に緑をもたらし国を救い尚且つ女性たちの道を切り開くことを確信していたであろう。そうでなければこのような世界を巻き込んだ活動には発展しない。人間はときに希望を真実と思い込みたいという心の作用で真実を見誤る時があり、知識の不十分さを理解せず突き進んでしまい後に後悔することがある。ワンガリーが秀でていることは希望を常に現実と照らし合わせて歩んできたことを無駄にしないというスタンスにある。そのためにどうすべきかをアンテナを張り巡らせていたからである。感度の良いワンガリのアンテナは希望や理想と現実を曖昧にしないことで研ぎ澄まされ、常にリスクヘッジし(リスクを予測して、リスクに対応できるように備えること)ことにあたり先を読む力があったからこそ彼女の偉業は成立成功したのだと考える。

ワンガリーにとって子供の頃に読んだことのある民話が自身の活動の主軸となり環境保護の礎になることは必然だったのではないだろうか。真の強さは逆境の中から生まれるということは脳科学的にも証明されていることであり多くの偉人にも通ずることである。また幼い子供たちの中にもできないことに立ち向かう強さを持ち合わせている子もおり、このようなタイプの子供は大人の力も助言も必要とせず自分自身の力だけで物事を乗り越えるため確実に伸びる。おそらくワンガリーの幼少期を想像するこのタイプに当たるのは間違いない。

ではもう一つの言葉でグリーンベルト運動に取り入れた『もったいない』に焦点を当てよう。2005年京都議定書関連行事出席のため日本を訪れたワンガリーが耳にし感銘を受けたのが、日本人なら必ず幼い頃から言われ育った言葉で日本人の精神性を表す言葉『もったいない』である。

日本語の『もったいない』は日本人の精神が色濃く残されている。日本人は古来から全てのものに魂が宿ると考え、食物、物、お金、資源、エネルギーなどをその価値を十分に活かし切る=粗末にしてはならないということを生活の中に取り入れてきた。そしてこの『もったいない』は仏教に通じ『何一つ独立して存在しているものは無く、物事全てが繋がっているものであり、存在することは当たり前ではない』という意味がある。つまり日本語のもったいないには他言語には存在しない尊敬や感謝の念が含まれているのだ。そのことに気付いたワンガリーは日本人の深い精神性に気付き、英語に変換することができないとし日本語の『もったいない』をそのまま使用することにしたのである。

ワンガリーの『MOTTAINAI』運動にはReduce(リデュース)=削減、Reuse(リユース)=再利用、Recycle(リサイクル)=再資源化に加え、ものを尊敬し大切にする気持ちの意味を指すRespect(リスペクト)=尊敬が含まれている。つまりこれまで日本人が当たり前のように伝承や口承してきたことは日本人ならではの自然や物に対しての尊敬・敬愛・愛情の表れであり世界的に見て誇れることであった。この『もったいない』を当たり前のように使っている私たちには当たり前すぎて刺激を受けることがなかったが、ワンガリーにとっては目から鱗であり電光石火の如く衝撃が走ったのであろう。そして彼女の活動の中に存在する迷いを断ち切る強い言葉として腑に落ちたのではないだろうか。困難や課題に直面しているワンガリーであったからこそ見つけることができ世界発信ができたのだと考える。つまり彼女の行動力と実績に裏打ちされた強い精神論が『もったいない』とリンクしたときに想像以上の力を発揮し世に広まったのである。このことを踏まえてもう一度彼女の人物像について考えてみよう。

ワンガリーは女性差別があ流くにで生まれ教育も女子ということで受けられない環境にあったが、兄の説得により幸いにも彼女は小学校へ通うことができた。家の手伝いをしながら限られた時間学ぶことにより集中力が磨かれ、自身の努力によって政府交換留学生として高い教育を受けることができ、ワンガリーが幼い頃から自分自身の力で道を切り開き強く生きる力を獲得できていたからこそ人生を通してすべきことを得られ謳歌でき、そのあとを多くの人々が受け継いで今日の活動につながっているのだ。彼女の研ぎ澄まされたアンテナは育った環境と弛まぬ努力と希望と現実を見抜いた行動により作られた賜物である。

最後に今日の日本におけるもったいないに目を向けてみよう。米の価格が高騰し備蓄米が放出されている時代でありながら庶民の手元にはまだ行き渡らず高値のままであるが、コンビニや外食産業を中心とした廃棄米が未だ1日に8万トン出ている状況である。これでもったいない精神を受け継いでいると言えるであろうか。その一方で食に困窮している家庭がある。何もかもが矛盾だらけで本来日本人が使っていた「もったいない」勿体無いを見失っているのではないだろうか。

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