偉人『ユークリッド』
今回の偉人は紀元前300年頃の「幾何学の父」と呼ばれる古代ギリシャの数学者ユークリッドを取り上げる。あまりご存知ない方のために・・・ユークリッドは面積、体積、角度などの幾何学の基本原理を体系的に整理しまとめ、三角形や長方形、円などの面積の計算方法を理論的に確立した人物である。つまり今日のユークリッド幾何学(初等幾何学)の土台を築いた人物なのである。お時間のある方は今週の提案記事『大きさを測る No.2広さ』もご参照下さい。(記事はこちら)
英語名のユークリッドで呼び名が浸透しているが本来はギリシャ語読みのエウクレイデスが彼の正式名である。ギリシャ語表記にするべきかと引っかりを感じながらも『ユークリッド』としての浸透率は無視もできず、このままユークリッドで通すことにした。
今回は2000年以上も前に彼がまとめた数学の原理が今も生き続けているのはなぜなのかを彼の功績やエピソードを基に考え勝手に想像してみよう。
ユークリッドのすごいところ、それは数学を体系的にまとめあげた初めての人物であるということだ。そして彼のまとめた書物は数学にとどまらず哲学書としても捉えられ、西洋で最も重要だとされていた聖書に続き『ユークリッド言論』の出版数が多く、大人の教養書として人々に受け入れられていたのである。なぜ聖書の次の重要書とした位置付けになったのか、私はその理由はユークリッドの真理の追求が大きく関係していると考えている。
彼の著書である『原論』は極めて論理的・体系的に構成され、数学を『確実な真理を積み重ねていく学問』と考えていたようである。ここでそれを裏付ける有名なエピソードを紹介しよう。ユークリッドがアレクサンドリアで数学を教えていた時、エジプト王プトレマイオス1世が「幾何学を学ぶためのもっと簡単な近道はないのか?」と尋ねた。するとユークリッドは「幾何学に王道なし」と答えたのである。権力を持つ王に対してこのようにきっぱりと言い切ってしまうユークリッドの発言から推測するに、彼の性格は大変生真面目で論理と秩序を重んじ整然とした思考を好み、権力に媚びず真摯に学問に向き合う厳格さを持っていたように思う。何よりも実直で真理を追求する姿勢を貫いた人物であることを彼のエピソードもさることながら書物からも多くの人が感じ取っていたのではないだろうか。
彼の素晴らしい点をもう一つ挙げておこう。彼は幾何学の学問だけでなく教育に対しても情熱を持っていた。 学問の本質とは何かを常に考え「おそらく正しい」ということに満足することなく、「確実に正しい」ということを導き出す真理の追求(本当の理解)ということに時間と努力を惜しみなく費やし、そして心血注いで真剣に学問に向き合った姿勢を指導者として見せ続けていたことである。ユークリッドの著書『原論』には、著者名も自分の意見も一切登場しない。これは「誰が言ったか」ではなく「何が真実か」を重視していたユークリッドの姿勢の表れであり、自らの発見であると記すことをよしとせず正しい知識を残すということを徹底した彼の謙虚さを知ることができる。このことからも彼は妥協せず真理の本質を追求する教育者だったと言ってもよいだろう。
しかしながらユークリッドの伝記的記録は彼の死後数百年経ってから書かれたものばかりであり、彼自身が自分自身の功績について明瞭に記載していないため残念ながら全てが彼の手で行われたのかは歴史的確証がない。しかし言えることはユークリッド以前のプラトンをはじめとする研究者や哲学者が示していたバラバラな幾何学を彼が一つにまとめたということは明らかである。つまり証明するという学術的スタイルを築いたのはユークリッドなのである。
誰が見ても納得できる「論理の力」で真理を証明する彼の姿勢はどこから生まれたのかを推測してみよう。
真理を求める人が受けている教育は一様ではないが共通して見られる特徴や傾向それは特定の学問というよりもどうしてそうなるのか、なぜそうなったのか、本当にこれでよいのだろうかという「常に何事かを問い続ける思考の在り方」が事を成し遂げる人物の先ず一つ目の特徴である。私たち親がついついしがちなのが単に知識を入れ学習を進めることやその出来に拘りがちであるが、実はその目先に囚われて子供が逞しく自分自身の思うことや考えることを追求することを阻害している側面が現代には多く存在する。だから単純明快な結論が出ることだけを優先し、時間がかかるような真理の追求をさせる現代社会ではないということである。がしかし私は計算が早い、性格に答えが出せる、満点を取り成績が優秀ということにいささか疑問を感じる場面があるのも事実である。辻褄合わせの学習をしている子供が多い中、できることならばなぜ学ぶことが重要なのかを親が子供に伝えることができるよう、親自身が答えを持つことが先ずすべきことで学びの真理を子供が数年かけて気づけるように育てることが重要ではにだろうか。おそらくユークリッドは幼くして真理とは何かを学ぶ教育を長年受けていたであろうと考えている。
また物事にはいろいろな側面を持ち多角的に物事を見極めるという「探究の態度」を学び取りきれていないということが子供達を見ていて感じることである。つまり多角的な視点での学びが不足し、 探究型の学習環境にないため物事を一方向からのみ見ている教育が長年日本の教育界を占めていたため親自身が多角的見解や発想ができず、子供にも多角的物事の見極めを行う環境を与えることができていない。よい点数を取るためや学習の理解度を高める知識のインプットでは獲得できない多角的視点からの物事の捉えを、今こそ変革させる時が来ているという時代を迎え「自ら問いを立て、調査・実験・対話を通して答えを探し導いていく学習」が最も重要である。
そして最後に親として最も重要視しなければならないことが内省を促す教育である。これは東洋的発想かもしれないが真理は外部の世界だけにあるのではなく、自分自身の内面にも存在しその内面を深く見つめることこそ重要なものがあるのだと気づかせるべきなのだ。子供は成長と共に様々な場面で自分自身と他者の違いを感じるであろう。その時に自分とは何かをか見つめさせる内面を捉え内声に従うことを行える子供は強い精神性を獲得できる。ユークリッドが王に向かい毅然とした態度で「幾何学に王道なし」と言えたのはこの内省の力である。自分はこの世に唯一無二の存在であり己の命を尊ぶこと、人に対しての寛容な心を持つこと、自分自身を活かすことなど自己理解を深める内省の教育が精神面を強くする教育であると考える。
自分の考えが常に正しいとは限らないという前提のもと、常に何事に於いても照らし合わせることができ自分自身を磨き続けることこそが、真理を追い求め「どう生きるか」「どう在るべきか」「どう考えるべきか」「どう自分を活かすか」という境地に至りユークリッドのような生き方ができるのではないだろうか。
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