偉人『ニーノ・ロータ』
秋といえば一年で最も寂しさや切なさを感じやすい季節だという。日照時間が短くなり気温も下がることから心細さを感じたり、人恋しくなり感傷という感情を引き起こすそうだ。中原中也の『曇った秋』や寺田寅彦の『秋の歌』、島崎藤村の『初恋』、ポール・ヴェルレーヌの『秋の歌(落葉)』など詩的な感傷作品を思い浮かべもするのだが、どうしても秋の風のように私の脳内を吹き抜ける名曲を思い出した。シチリア風の旋律に物悲しく切なく哀愁を帯びた美しいメロディーが、イタリア的な郷愁、愛、家族への思いなどの情感を感じさせる『ゴッドファーザー』である。その作品文之進生んだのがニーノ・ロータである。映画を見たことのない人でも彼の作品を耳にしただけで心惹きつけられ哀愁の世界へと誘われてしまう。しかし『ゴッドファーザー』だけではない、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』、ジュリエッタ・マシーナの『道』、『ロミオとジュリエット』など始めの数音が印象的で心掴まれてしまう。今回はなぜ彼の多くの作品がノスタルジアなのかを探ってみる。
1911年12月3日イタリア・ミラノにて芸術に造詣の深い家庭に生まれた。母親エルネスタは音楽家の家系でロータに早い段階から音楽教育を与え、家庭内でロータの音楽的才能を育む重要な役割を果たしていたことは確かである。一方父親に関しては記録が非常に少なく、名前や職業もあまり知られていない。しかしニーノは8歳で作曲を始め、11歳で交響曲、協奏曲、そしてレクイエムまで作曲し、13歳でオペラを手がけていることから音楽的センスの高い早熟した天才であった。高水準の教育を受けていたこともあり、中産階級以上の比較的裕福な家庭だった可能性がある。ニーノ・ロータ自身が非常に内向的で控えめな人物であり、私生活について多くを語らないことで知られ、家族や個人的な背景についての情報は彼の作品や公の活動に比べると非常に少ない。よって今回は想像の翼を広げて深読みするとしよう。
早速だがニーノ・ロータの曲はなぜこうもノスタルジックなものが多いのかを考えてみよう。
先にも記した通りニーノは大変内向的な人物であったと言われ、家族や自分のことについてはあまり語っていない。彼は非常に恥ずかしがり屋で公の場を好まず最低限のインタビューやパーティーに致し方なく出席した。外に出るよりも家の中で作曲に集中するのが好きだった。成功者でありながら名声にも無頓着でアカデミー賞を受賞しても特別に騒ぐことはなかった。
教鞭をとっていたバーリ音楽院の同僚や学生たちからは「とても穏やかで、礼儀正しい」「人を責めることがない」などの人物として語られる一方で、個人的な話をほとんどせず、心の奥を覗かせることはなかったとも言われている。これは、彼が「音楽によってのみ自分を語る」人物だったとも言えるが、幼い頃から備わっている性格だと考える。
内向的で控えめ、柔和で親しみやすいが、深くは語らないということから感受性の強い子供時代を送っていたと考えられる。感受性が高いことはある種ギフテッドの一つと考えて良い。ギフテッドとは知性・創造性・芸術性・リーダーシップなど特定の分野で並外れた能力を発揮することで高度な潜在能力を持つことをさすが、ニーノはこのギフテッドを音楽的分野で発揮した人物なのだ。『感受性の強さ』と『能力の高さ』は比例し、さまざまなことを強く感じることに繋がるためその長けた能力がさらに高まるということなのだ。
この感受性の強さは感情的なものを付随し、共感力の強さ、シャイで内向的、ときに癇癪や不安感そして自己評価の厳しさ、変化への対応が困難などが強く出ることもあるとされている。このことを踏まえて考えると、ニーノはまさにこのギフテッドに当てはまっている。感受性の豊かさは表現することへと結びつけることが重要で、ニーノはその表現を音楽に見出したのである。
ニーノ・ロータの音楽はただの映画ではなく、深いテーマ性と感情表現を持っている。そしてただ耳で聴くものではなく、「心で聴く音楽」であることが最大の特徴だ。旋律の哀愁が前面に出ておりロマン派の影響が強く、ゆっくりとしたテンポでシンプルに書かれ、郷愁や孤独、哀しみを感じさせるように作られている。悲しみや空虚さ、破滅、孤独、不条理を表現することの他に、古き良き時代を思わせるような旋律や編成を用い、それが聴く者に懐かしさと過去への哀愁を呼び起こしているのだ。それらがスクリーンの中に存在するだけではなく、映画を見るそして彼の音楽を耳にする者の中に深く入り込んでくる。彼の旋律は映画を見終えた後も音楽を聴いた後も長く心にそして脳裏に残り続ける。それこそがニーノ・ロータの音楽の本質だ。私も彼の音楽を使用した映画を見終わった後に映画の感想を口にすることよりも心の中に広がる湧き出てくる想いだけを噛み締めていたくなるのだ。つまり彼の作品と自分自身の深層心理が共鳴している状態なのだろう。ただ彼の作品を通して映画をみていたあるいは音楽を聴いていた過去の瞬間を思い起こし、昔を懐かしむこともできるのであるから作曲者のニーノ・ロータは私たち以上に作品の中に埋没していたに違いない。
彼の作品は彼そのものである。ニーノの柔和で親しみやすいが深くは語らない。個人的な話はほとんどせず心の奥を覗かせることはなかく、「音楽によってのみ自分を語る」ように自分自身の中に存在する思いを作曲に反映した。特に映画監督のフェデリコ・フェリーニとの関係は非常に特別で長年の友情と信頼があり、ニーノの音楽についてこう語っている。「私は映像を通じて夢を見せようとする。ロータは音楽でそれを完成させる。彼の音楽は私の映画の魂そのものだ。」「彼の音楽は、私の映画に魔法をかけてくれる」また 同僚作曲家 は「ロータは、イタリア音楽界の中でもっとも静かで、もっとも深い湖のような存在」と語っている。
ニーノ・ローターの表現する「郷愁」や「哀愁」の旋律は彼自身の孤独や内面の静けさ、そして母を想うこと関係していると考えていいだろう。つまり彼の内面にあるものが彼のノスタルジアそのものなのだ。
このように、ニーノ・ロータは「生まれながらの音楽家」ともいえる人物であり、彼の映画音楽に漂う豊かな感性や知的な構造は、ギフテッドの感受性と幼少期の母の献身的音楽教育と教育の土台の上に築かれたものとも言えるが、ニーノの非常に内向的で控えめで温厚な性格は人との交わりを最低限にし、人との距離を保ちながら生活を規則正しく行い、人生全てを音楽に捧げた静かなる人物である。音楽そのものが彼の内面の中に存在する言葉であり、彼の人生の静けさと深みは今もなお彼の音楽から感じ取ることができる。ニーノのノスタルジアはイタリア独特の家族への強い思いと特にマンマを深く愛する息子の強い気持ちが作用したのではないだろうか。母と息子二人三脚で歩いてきた音楽への道を母亡き後一人で歩む時、母の幻想を追いかけ作曲に没頭したのではないだろうか。だからこそ彼の曲は懐かしさと切なさと望郷を掻き立てられるのだろう。飛躍しすぎだがニーノは音楽に母の愛を重ね合わせていたと信じたい。母の愛は空よりも高く海よりも深いと。
多くの子供達は幼ければ幼いほどニーノのように心の奥底にあるものや持って生まれた性格を自然に表現する。ある子は天真爛漫に、ある子は慎重に、そしてまたある子はパワフルになど成長と共に多くの刺激を受けて自分色を全面に表現する方向に進む子もいれば、社会性を身につけて表現する時と場所を選ぶ子もいる。親はその我が子の表現をしっかりと見るべきであり知るべきである。我が子の良さを空よりも高く海よりも深い愛情で見つける秋にしてはいかがであろうか。
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