提案『子供の権利』
先一昨日のチャールズ・ディケンズの記事(こちら)では彼が児童労働に意義を唱え、子どもの権利について活動をした人物であることを軽く記しました。すると彼について知識のあるご父兄より「日本における子供達の権利とは何でしょう?」と深掘りのご質問をいただいたので、日々私が親御さんとお子さんたちとの関係を見ていて感じだことを子供の権利として捉え提案記事を記してまいります。
1、独立した個人の権利
日々子供達と触れていると教室に通う生徒さんは親の庇護のもと生きる権利、育つ権利、守られる権利を十分受けていると感じていますが、私にはもう一つ『独立した個人の権利』が現代の子供達に本当に与えられているのかと疑問を覚えることがあります。国連が定めた 「子どもの権利条約(CRC)」にこの文言は存在しませんが、先進国であるが故に発生している問題だと考えています。子供の独立した権利は時に親の愛情が溢れすぎる時、子供の行く末がどうしても心配と考える場合、親御さん自身の価値観が強い場合などに子供よりも先回りをしてさまざまなことを排除したり、良かれと思い価値観を強要あるいは強制したりする傾向が見られます。子供の成長を親御さんなりに考えて行動なさっているのでしょうが、私からするとその大きな成長の芽を摘んだり、逃したり、残念ながら潰してしまうことも今まで見てきました。この時に親側から何が発動されているかというと『親の押し付け』です。この押し付けは子供を縛り付けてしまう可能性があります。今回は『親の押し付け』についての内容となります。
記事をお読みいただく前にはっきりと申し上げておきましょう。子供は親の所有物ではない、親の分身でもない、歴とした一個人なのです。どんなに生まれたてのか弱い乳児であってもです。このことを念頭に以下の内容をお読みください。
① 行動・生活面での押し付け
行動・生活面での押し付けであれば、特に安全・健康への配慮が強すぎる場合に起こりやすい押し付けです。本当に命の危険に晒される場合は行動や生活面を見直させる必要がありますが、子供達の発達の中では危険そうに見えても親が注意深く子供を見守ると、大変有益な発見や思考を子供が繰り出すことがあります。例えば布団バサミやハンガーを自分自身の顔や頭に当てて大きさを認知する動作や犬の口をこじ開けようと必死になる好奇心の芽生えなどが出現します。それを親御さんが見て洗濯バサミで顔や頭を挟むのではないか目にあたるのではないかと取り上げてしまうこと、また子供に身を委ねる犬かどうかの判断は必要ですが、大丈夫そうな犬なら子供の好奇心を満たすことも私は用心しながら行わせるべきだと考えます。子供達に芽生えている折角の大きさの基礎概念の学びや好奇心を取り上げてしまうことは、成長の機会を失うことになるのです。大きな怪我になりそうでなければお母様の管理下の元、目を離さずに様子を見守れば良いのです。
もう一つ生活面での話をしておきましょう。幼ければ幼いほど食事の量にムラが出ることがあります。子供が元気なのにいつもより食事量が減ったと心配をし、無理に食事を強制すると子供自身が自分の空腹や満腹の感覚を理解できないようになってしまいます。この行動及び生活面は躾と深く関係しているので親御さんの精査が必要になります。子供の気持ちや行動に寄り添えず押し付けをすることのないように子供の成長発達と躾を明確にセパレートするようにしましょう。
② 学習や能力面での押し付け
学習や能力面での押し付けでは子供の能力や習得力、発達期にそぐわない成果や結果を求めることを指し、この押し付けを発動している親御さんはご自身が生きてきた人生を鑑みて、子供の将来への不安や他者との比較をしている場合がほとんどです。「毎日頑張っているんだから、できて当たり前でしょ」「なんでできないの?」「お友達はこんなこともできるのに」などお子さんと一緒に頑張っている親御さんほど口をついて出てしまう言葉です。心の中にそのような言葉があった場合には、伝え方を肯定的に行い、声掛けを変える必要があります。例えば「毎日頑張っているからここまでできるようになったね。じゃぁ次はこれができるように目標てててやろう。注意深く考えながら解いてみよう」「今できないけれど、できるようにするにはどうしたらいいと思う?」「お友達ができるってことは君もできると思うよ。一緒にやってみようか」など子供が前向きに捉えることができるような声掛けを繰り返し、優しく語りかけるべきなのです。
しかし私は別の考え方も持っています。他者と比較するなと言っておきながらですが、子供自身がある程度社会性に目が向けられるようになると他者と自分自身の立ち位置を知って努力することも必要だと考えます。世の中に出たら自分よりも更に上の人たちがいると言うことを知り、その上で努力をする勤勉性を身につけさせ、人とは違う自分自身の価値や適性を見つける強い精神の育みは絶対行うべきです。また強い精神の育みのためには私は根拠のない自信に満ち溢れている子供を育てることも重要ではないかとも感じています。
③ 親の理想の押し付け
「私ができなかったから、あなたには成功してほしい」「〇〇家の子なんだから、こうあるべき」などと親の理想を子どもに投影する押し付けも子供に過度の負担をかけてしまいます。また「こうしなければいけないの」「このような時はこうすべきだ」と親が決めてしまうことも親の考えを投影させてしまうことになります。現代の親御さんが子供の声に耳を貸さずに、親が決めてしまい実行させていることは意外と多いような気がします。私は子供たちの習い事を開始する前には必ず「楽しくできそう?」「習いたい?」「いきたい、いきたくない」を決めさせていました。しかし子供は途中で「いきたくない」「今日は休みたい」など親から見て怠けじゃないか・・・という場面にも遭遇しましたが、「行くと決めたのはあなただから初心貫徹」と言っていかせました。つまり子供自信に決めさせて、最後まで決めたことは貫きなさいと言う姿勢を崩すことはありませんでした。親が決めてしまうと受け身のさせられている、仕方がないからすると言うようなモチベーションの上がらない状態に陥ってしまいます。ですから子供の声に耳を傾け、子供の意見や考えが溢れ出てくることを待ち、それを受けて選択肢やヒントとなるものを親御さんが与えて子供が決断することを待つ、その責任が親御さんにはあると考えます。
④ 感情の押し付け
今でこそ少なくはなっている親御さんからの感情の押し付けですが、親御さんが子育てや日常に心のゆとりがなく感情的に爆発してしまいそうになるタイミングで、子供が何かアクションを起こしてしまうと大概親御さんの堪忍袋の尾が切れると言うことになりがちです。半年前になりますがレッスン終わりの夕方どうしてもスーパーに行かなけれならず、慌ててエスカレーターを駆け上がると大きな声でお子さんを叱っているお母様がおられました。それを横目に用を済ませ駐車場に向かうと、私の車の横でその親子が戦いを展開していました。これは何かのご縁なのかとお節介を焼こうかと荷物を乗せていると、その子供が私の車めがけて靴を蹴り上げ車に命中。するとお母様が子供を叱りながら謝罪をしてきました。謝罪の受け入れをそこそこに子供に「どうしたの?」と聞くとお母様の後ろに隠れてしまいました。話を伺うと足が痛いから車にいると言って聞かない子供を無理やり同行させたのだとか。すると床に座り出して抵抗するので感情的になったというのです。車に子供を残すことがやはり不安だから同行させた親の考え方は立派です。子供用のカートに乗せることや抱っこしてあげる選択肢もあったでしょう。ここで大切なのは子供にちゃんと親の思いや考えを説明してあげれば戦いは起きていなかったのではないかと思います。売り言葉に買い言葉、売られた言葉を言葉で返せなかったから靴を投げる行動に出たのでしょう。私の子供の大事件を話すと気持ちが楽になったようで笑顔でお別れしましたが、やはり親の心に余裕があることが何事もうまく行く前提かもしれません。
話を本題に戻しましょう。感情の押し付けは泣いている子に「泣くほどのことじゃないでしょ」、怒っているのに「怒っちゃダメ」、嬉しくもない楽しくもないのに「嬉しいね、楽しいでしょ?」と感情を押し付けることもこの押し付けに当たります。まずは私が常に親御さんに伝えているのは、問題が生じた場合には「どうしたの?」と言葉を掛け、子供が言葉を発するまで背中を摩ったり、膝に乗せたり、軽く引き寄せたりしながら子供が自分の言葉で説明できる時間を設けてほしいというです。親の感情を押し付けてしまうと子供自身が自分の意見を言えない子供になってしまいます。自分自身の言葉で発言ができることはかなり重要なことであると理解しておきましょう。
⑤ 価値観の押し付け
価値観の押し付けは親御さん自身の育ちや社会的価値観の影響で押し付けてしまうことが多いものです。例えば私自身が長子だったため「お姉ちゃんなんだから」とかなり厳しく言われて育ち、お姉ちゃんなんて面倒な役回りだと母親に対してひた隠しの反発心を持っていました。ある時期には母に意見を言い出せずしっかり者の役割を演じたり、正論を立てながら意見する反抗期もありました。父がいなければ私は大きく道を逸れていたかもしれません。私が親になり子供の本質を学び、親の価値観の押し付けこそ子供に足枷を履かせてしまう可能性があると実感してから、自分自身の子育てにはなるべく価値観を押し付けないようにしてきたつもりですが、子供に言わせると少なからずあったようです。たとえ親の価値観を押し付けても子供に選択権を与え決断させれば問題はないと自分自身の経験から言えることでもあります。
ご父兄の方はお分かりだと思いますが、本来私の気質はポンポンとはっきりと厳しいことを言い、ありのままを歯に衣着せぬストレートな表現で指導を行うタイプの人間です。それで心疲れる方もおられるでしょうが親御さんと見ている方向は同じで、子供達の幸せしか見えていません。これもまた私の価値観を親御さんに押し付けているのではないかと自問自答することもありますが、厳しいことを伝えて親御さんが出したいずれの決断にも私は従います。人それぞれ価値観は違うのが当然で、お互いに意見を出し擦り合わせを行い、それでも違う方向性を取ることも仕方なのないことで社会に出ればそのようなことは多々あります。振り返りあの時点でこうすれば結果は違っていたかもしれないと後悔することがあっても、必ずそこには学びがあるはずです。転んでもタダでは起きないそんな逞しさも人生には必要かもしれません。
⑥ 親の都合の押し付け
親の余裕のなさ、時間的制限、ストレスによって引き起こされる場合がほとんどです。
例えば子供が話を聞いてと近寄ってくる場面を想像してください。話も聞かずに「今。忙しいから」と話を遮ることはありませんか?また親の感情(イライラ)を子どもにぶつけることはないでしょうか。そして親御さん自身の仕事や家事が優先されて「今は無理」と常に返事をしていないでしょうか。そのような親の都合の押し付けを受けた子供は、「自分のことや気持ちは後回し」になると感じて話をしなくなってしまいます。また困った時や助けてほしい時に声をあげることができなくなりますし、人に上手に甘えることができないようになるというエビデンスも出てます。感情を言葉にできないことほど辛いことはないでしょう。まずはどんなに忙しくても手を止めて、子供に目を向けて「なぁに、どうしたの?」と話を聞く姿勢を子供に示して欲しいものです。子供とこのような過ごす時間は本当にわずかです。今しかない尊い時間を失ってほしくはありません。たとえ本当に切羽詰まった場合であるならば、子供にその事情を端的に話して待ってもらいましょう。そして待ってもらったからには必ず子供と向き合う時間をとってください。
ではまとめに入りましょう。
親御さんは子供可愛さあまりに良い子に育てよう、賢く育てよう、しっかりと育てようと親の意識が働きさまざまな押し付けを生み出します。しかしその原因は親が子供を思うあまりの愛情、心配、不安、自分自身の経験からくる価値観が原因です。親は子供よりも多くの時間を使い経験をしてきただけで、1歳の子供を持つお母さんなら親として1歳です。たとえ上の子が5歳で、下の子供が3歳であってもそれぞれの子供の親としては5歳と3歳です。ですから親としての押し付けを行うのではなく、共に歩むという意識で子育てにあたりましょう。
では最後に押し付けの原因を軽減させるためには「この子は今、何を感じているか」と言うを言葉心に刻んで自問自答したり、子供に選択肢を与えることを行なってください。
子供は自分自身の分身ではなく一人の人間であり、子供の人権を認めるためには、完璧な親を最初から目指さない、子供と共に親は成長するものだと理解し、子供の目線を通して親が学び続けることが何よりも需要であることを心に刻んでほしいと考えます。
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