偉人『斎藤茂太』

モタさんこと斎藤茂太氏は精神科でエッセイストでもあり、彼の言葉は多くの人々を励まし生き方について考えさせてくれた。白髪に白ひげを蓄えた柔和な表情で悩める人をスッポリと包み、彼が発信する人生経験に裏打ちされた言葉がどれだけ多くの人々の背中を後押しただろうか。私もその一人でモタさんの言葉で多くの学びをさせてもらい、彼の書いた170以上の作品読破に向け現在挑戦中である。彼の言葉には大いに納得し膝をポンと叩くこともあれば、ハッと驚かされ目から鱗が落ちること、これまでの自分自身の考え方が根底から覆されること、人生とはこのような仕組みになっているのかも知れぬと悟ることもある。これの言葉を前に年だけ重ねただけの青二才の自分に頭を抱えることもあるのだが、それでも彼の作品の中で生きるとは何かを検証することに楽しさを感じ眠ることさえ忘れてしまう。それほど彼の記した言葉はどれも新鮮で説得力がある。そして何よりもモタさんと言わしめる優しさや穏やかさが表情から滲み出ている魅力的人物なのだ。

今回は生い立ちや豊かな人生経験を通して斎藤茂太氏がどのように柔和さをを持つ人格形成を行ってきたのかを想像してみる。

モタさんこと斎藤茂太氏は1916年3月21日東京で精神科医で歌人の斎藤茂吉と母輝子の長男として誕生。父茂吉は山形から14歳で単身養子候補として上京し、プレッシャーの中で医師になり斎藤家の次女輝子と結婚する。しかしその結婚は病院や家を継ぐための愛情のない結婚であった。父茂吉は患者に対しては理性のある接し方をし外面が良い反面、家では常に小言の多い人物であり時に家族に対して暴力も振るっていたと言われている。そんな父の姿を見て育つ子供たちは父を怖がり時に怯え父と一線を画し、父との交わりは当然希薄で疎ましく思うこともあったようである。しかしながらこの父ばかりが責められるものではなく、母輝子にも大いに問題のある親であり子供達はその両親の間で板挟みになっていたと考える。

これまで愛情形成について幾度も記事を記してきたがこの斎藤家では一般的な家庭とは少し形の異なる愛着形成がなされていたと考える。一般的に感情に流される親を持つと子供もまた似たような人格形成になる可能性があることを幾度も記してきたが、父茂吉の患者に慕われる一面と容赦ない家族に対しての厳しさや煩わしさを感じさせてしまう言動に子供達は大いに悩んだであろう。父のこのような振る舞いを引き起こす母の問題行動もまた子供達にとっては悩みの種だったのではないだろうか。互いに鬩ぎ合う両親の間で心を痛めていたであろうし、両親それぞれの良さも感じながら甘えることのできない一抹の寂しさも幼なが心に感じていたであろう。もしかすると喧嘩両成敗ということも幼いながら感じていたかもしれぬ。

しかしその両親からの愛情を受け取れない分心を満たしてくれた人物が斎藤家にはいた。それが上記の写真の祖父の斎藤紀一である。祖父紀一は医師であり母輝子の実父でモタさんの言葉を借りると誇大妄想的ところがあり、時に奇怪な言動で周りを大いに悩ませたそうであるが不思議と誰からも愛される一面を持っていたという。なぜ祖父紀一が周りから愛されたかという理由についてもモタさんは祖父は稀にみる褒め上手という人物であったと評価をしている。

ある日幼少期のモタさんがピアノを指先でポツンポツンと押し弾いて遊んでいるだけで「おお、お前はピアノが上手だねぇ」と言い、いたずら書きをしていると「おお、上手いものだ」と褒めたそうである。その祖父の言葉はその場限りの褒め言葉であることに幼いモタさんは理解しつつも心地良く、小言ばかり言っている父よりもはるかに祖父が好きだっと語っている。つまりその場限りの言葉であってもその言葉は愛情を感じるに値するものであり、日頃から褒められることに飢えていたのかも知れない。

母輝子は父茂吉の体臭が臭いと舌打ちをして部屋を出る有様で、また子供の面倒を見ずに家を出る妻に対して父は感情的になり時には暴力も振るったのである。子供に愛情を注いで関わるということの重要さを理解できない両親の互いを責める言葉や態度が家庭の中にあれば、穏やかさとはかけ離れた家庭であったことは容易に想像がつく。両親の不仲というものほど子供にとって辛いことはなく、このような環境にいて子供は心休まるはずもない。だからモタさんにとって祖父の行き当たりばったりの褒め言葉も乾いた土壌に降り注ぐ水だったに違いない。祖父の褒め言葉が幸いしてモタ少年の心の安息的場所となり、一時的に両親の不仲から一定距離を置く場所だったに違いない。そしてこの幼い頃両親から一定の距離を置くという体験が彼のいうところの『適切な距離感』の重要性を気づかせたのではないだろうか。近づきすぎると互いにとって負担になり、離れすぎると疎外感を味わう。つまり適度な距離というものは無用なストレスを感じず誤解を避けることができるとしていることから、子供の頃に両親から一定の距離を取り自分自身を乱すことのない術を無意識に実行していたのではないさろうか。


また彼は柔らかい人間関係を築くためには相手に共感することと相手の話をしっかりと聞くという傾聴を重要視せねばならないとを説いている。相手の立場になり言葉の裏にある気持ちや状況を理解しようとする想像力が重要であると同時に相手の話を確りと聞くことで信頼関係が生まれ心の繋がりを有することができるとしている。この考え方は子供の頃に芽生えたとは思えないが、両親の不仲というものがどこから生じていたのかを精神科医の立場から分析し理解していたのではないだろうか。もしこの共感と傾聴がなければ両親に対して恨み節や無関心な人物となり、これほどまでに多くの人を元気付け励ますこともできなかったのであろう。何よりどんなに不仲な両親のもとで育っても祖父との関係性が彼の心の中に安息を与え両親との一定の距離を保ち、子供の頃から好きで夢中になるものを持ち心の余裕を持てたことにより相手に対して寛容な気持ちで接することができたと考える。この心の余裕というものは己を尊び人に及ぼすという考えであり、自分自身を大切にできない人間が人を大切にできるはずもなく、もし心の余裕がない場合には相手の言動に過剰に反応し冷静に受け止めることができないであろう。モタさんの柔和さというものは心の余裕の表れであるとも言える。

そしてこれらの全てを理解した上で精神科医として自分自身の考えや意見を伝え、その時にも相手の立場や気持ち環境を想像する力を持って多くのことを発信していたと言える。だからこそ彼の言葉には優しさが溢れ言葉に説得力があり私も含めて人々が心動かされるのだろう。まさに幼い頃の環境や精神科医として一人の人間として経験した全てが活かされ凝縮された言葉であるのは間違いない。

優しさが滲み出る人間になりたいのであれば人との関係性に一定の距離を置き、相手に共感し傾聴し自分の意見を確りと持ちながらも意見を述べる時には相手を思いやる行動をとり、自分自身が心に余裕を持ち自らを大切にしその影響を相手に与えることができるような行動をとらなくてはならないということであろう。しかし彼の言葉を読み込んでいくと優しさだけが思いやりではなく、時に心を強く持たなければならないという解釈ができる内容も含まれ、厳しさの中に存在する優しさの解釈や相手が言葉にしない思いや意見があることにも気付き、想像性を働かせよという厳しい言葉もある。優しさという言葉一つをとっても多角的なものの見方をするモタさんに一歩でも近づきたいと思うのである。目には見えない、耳にすることができない、表立って表現されないことに気付くことが出来る子育てというものを私も重視して我が子に伝えてきた。想像することの重要性というものがいかに重要なのかをモタさんから学んだからである。またモタさんの言葉の中には面白い知識も多く含まれ「ほほぅ、なるほど、そんなこと知らなかった」というような初めて知ることもあり、私自身の知るという喜びの窓口を広げてくれたのである。モタさんの言葉は私にとって金言そのものである。

最後にモタさんの綴った多くの言葉の中でも私が信じきっている言葉を紹介してこの記事の締め括りとする。

「できるだけたくさんの本を読み、美しいものに触れ、思いやりを持って人に接する。当たり前のことを言っていると思うでしょうが、そういうことの積み重ねが、本当に人を美しくするんです。九十年も世の中を観察してきた僕がいうんだから、間違いない。」


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